東京バーベキュー

このブログによると、帝釈道とは以下の二筋を呼ぶらしい。
- 小梅、曳舟、四ツ木、立石、曲金(高砂)から柴又への道
千往、 新宿を通って柴又へ至る道
すると、この帝釈道は後者のものだろう。でも、ここが帝釈道なのだろうか?
?と付けたのは理由があって、それは隣に並んでるお地蔵様群。

このお地蔵様たちは、ここではなく別の場所に並んでいた。中川橋を渡ってきて、道が鍵状に右折して、そこだけは江戸の城下町・門前町さながらの道割りになっていて、そういう場所にあったのだ。
それが、道路整備でこんなことになってしまった。そういうことを知っているから、この帝釈道の石碑もここのことを指しているのか訝しく思ってしまうというわけ。
その道路整備の案内看板。

ここには、今はなき水路を「東用水」と記している。行政の設置した看板なのだから、法定名称は東用水なのだろう。一方で、この用水路は、上下之割用水なのである。
こちらのサイトからの引用。
上下之割(かみしものわり)用水は東葛西領50余町村の灌漑用水として整備され、上之割とは現在の水元・金町・新宿・高砂・奥戸など葛西区域、下之割とはそれより南の江戸川区域の地域をさします。
(葛飾区教育委員会発行「かつしかの道」より)
そして上下之割用水は、この先で、東用水・中用水・西用水に分かれることになっている。
うーむ。
葛飾区域でもっとも多かった地水増水型の水害をよく表す俚諺に「カエルが小便しても水が出る」というのがある。堤防が決壊してあたり一面を海のようにしてしまう洪水も恐ろしいが毎年のように水が上がり、便所や下水を浸水させる出水もまことにうっとしく、ときには大洪水に匹敵するような被害をもたらすこともある。
(葛飾区郷土と天文の博物館発行「洪水の記憶」より)
なるほど、そうかと思う。昔、軒先に舟をつり下げていた農家の写真を見たことがある。葛飾の農家なのであって、だから、なるほど、と思うんである。
そういう、毎年のように水が上がる土地につくる道路というのは、微妙な土地の高低差を忠実に繁栄した道とならざるを得ないと考えるのが真っ当だろう。逆に、そうした高低差を無視して造成を行ってつくられた道というのは、例えば、日光街道の千住宿あたりのような道は、極めて政治的な意味合いが強い。そして、この原則は、河川がカミソリ堤防になって、スーパー下水道がつくられる現代でも同じではないのか。
今回は用水路跡を往くということでまちあるきしているのだけれど、帝釈道というのも、ありかなあと思う。思うけど、混乱してるし、パズルを解くように古い資料に当たらなきゃならなそうだ。それは面倒くさいし、古い資料に当たるということ、それ自体が町並みの混乱ではないかしらん、と、少しだけケチをつけてみる。
今回は用水路跡を往くということでまちあるきしているのだけれど、帝釈道というのもありかなあと思う。思うけど、混乱してるし、パズルを解くように古い資料に当たらなきゃならなそうだ。それは面倒くさい。だまされないぞという気になってしまう自分は、意地が悪いのだろいうか。とにかく、この場所に立つと、何がどっちで、どっちが何なのか、さっぱりわからん。
こんふゅ〜じょ〜ん うぃりぃ まぁ えぴたぁ〜...
その状況自体が町並みの混乱ではないかしらん、と、少しだけケチをつけてみる。











