東京バーベキュー

なんでこんな風な歩き方してるんだろ。アスファルトばかりで、暑くて、どこでも直射日光ばりばりで、いい加減疲れてきたから帰ろか。上下之割用水まで戻るの面倒くさいし、小岩用水までやってきたということでよしとするか。。。
ナーンてこと思ってたら、目の前に広がったのがこの風景。
植木だか盆栽だか忘れたけど、江戸の庶民の町の路地を緑で飾る習慣というのは自然発生的に生まれたものではなく、当時、染井の職人が緑の育て方みたいなハウツー本を出して、それが超ベストセラーになったからなのだという。
圧倒的に人の手が入と続けているから楽しいので、それが緑でなくてブリキや鉄の装飾品でも楽しいことには変わりない、というのは今回のまちあるきで感じたこと。
だから町中すべてがそうなってしまえとも思うけど、だからといって、何か規制をかけて住人の義務ということにしてしまうと、それはつまらなくなってしまうのではないだろうかとも思う。「つまらなく」というのは、「レディメードの」と言い換えてもよい。
こういうのは勝手にやるというのが肝のような気がする。
いや、そんな説教めいたことを書きたかったわけではないのだ。
こういう空間は楽しい。
けれど、自分でやるのは面倒くさい。
だから、楽しくしてもらってありがとさん。

小岩用水跡から、まっすぐ東、柴又方向に延びる道路。住所表示を見たら、ちょうど金町と柴又の境界になっていた。
これもやっぱり、水路だよね。
地形的には、柴又側が標高が高いのだから、水は向こうからこちら側に流れてきていたはず。とすると、この水路の始まりはどこなのだろう?、江戸川?
中川とか江戸川から直接取水するのは、とても大変だったろう。雨期には洪水のような 水かさ、乾期には川縁はどろどろ。だから、取水口に当たる場所は、雨期にも足場が確保でき、乾期にも一定の水深を確保できる場所が選ばれたはずだ。そんな場所は信仰の対象にしたはずだ。例えば、立石(川端)には水神社があったし、こっちはまだ行ってないけど、「かんすけ児童遊園」は勘助入江が造った勘助入排水場があった場所だったはずだ。
この道路を東に進むと、金町浄水場にたどり着く。あそこもそういう聖なる場所だったのかしらん。











