東京バーベキュー ~歩くひと、佇むひと~

再び、パルテノンの丘。
凍った空間。
エベネザー・ハワード著『明日の田園都市』(山形浩生訳)
実際には、選択肢はみんながいつも考えているように、二つ――つまり町の生活といなか生活――しかないわけではない。
町といなかは結ばれなくてはならない。
まさしく多摩ニュータウンの理念でもある。
別の箇所にはこうも書いてある。
中央公園のまわりをぐるりと取り巻いているのは、幅の広いガラスのアーケードで、これが「水晶宮」であり、公園のほうに開かれている。この建物は、雨が降ったときに人々のお気に入りの場所となるし、この明るい屋根が手近にあるということで、どんなに天候が怪しげなときにでも、みんな中央公園にくるようになる。この水晶宮では、製造業からの製品が展示販売されて、あれこれ迷って選ぶ楽しみを必要とするような種類のショッピングは、ほとんどがここで行われる。
中央公園は彫刻になり、水晶宮は神殿となった。
なぜなら、ここは近隣住区からいささか度を超えた場所だし、
ニュータウンは死を禁止していたから。
多摩センターからまっすぐに伸びる軸線。
その先にあるシンメトリーな神殿。
理念的な死。
訳者山形浩生のあとがき
だがこのハワードの田園都市は、ほとんど初めて住民の立場から考えられた都市計画だと言っていい。ここには神様もいなければ、すべてを決める絶対君主もいない。中心には、王宮もなければモニュメントもない。
楕円形の池の向こう、赤い点景がぼんやり浮かんでる。

赤い四角形の連続。

これは、もう明らかだ。
明確に稲荷神社の鳥居だ。

スティールH型鋼の鳥居。
そして懐かしい風景。
528 :本当にあった怖い名無し:2009/04/02(木) 22:36:57 ID:iDCYyV2y0
私的には、多摩センター駅のピューロランドに繋がる上側の通路の途中に、人工池があって その奥に赤い鳥居が幾つも奥に伸びてある場所が寒気がする。
磯崎新が昭和の時代に仕掛けた時限装置だと思う。
当時の建築界ではどのように語られたのか知りたいのだけど、
WEBでは何一つ語られていない。
あるいは本当に何も語られなかったのだろうか。
だとしたら、何とも間抜けな話である。
では、その先には、何があるのか。
何もない。
実にあっぱれなくらい、軸線はぶった切られる。

お稲荷さんが置かれてるはずの場所から、
神殿を振り返ってみたのがこの一枚ということになる。
多摩センターからまっすぐに伸びる軸線。
その先にあるシンメトリーな神殿。
その神殿が祀っていたのは稲荷神社で、
けれど、そこには何もない。
それでも死はすぐ近くにいるのである。
(未了)

彫刻的。
凍りついたみたい。
それでしばし考えて、
ここは霊園なんだと思った。
文化会館が取り囲む霊園。
人工的で彫刻的で抽象的で乾いた死の場所。
振り返ってみると、
今日一日、死を暗示させるものには出会わなかった。
ニュータウンには死だけが欠落していた。
その欠落した死が見えてくるにつれ、
ニュータウンは街から町に変わり始めた。
今はそういう時期なのだと思った。

西日差す丘のカップル。
ああいいなあと思った。
だから、これでよいのだ。