東京バーベキュー ~歩くひと、佇むひと~

「うわぁ、いかにも昭和って感じの一枚だな」
「こういう風景あったなぁ~、って、なんか懐かしいような懐かしくないような」
「これも古隅田川?」
「さっきの広場の向いから奥に入ってったその先」
「奥って、どゆこと?」

「これが広場の向い側、こんなんなってた」
「陸前濱街道だから陸前橋ってことか。古隅田川の自然堤防の水はけの良い土地をつたうように街道が建設されていたんだよ」
「でも、なんか墓石みたいで、ちょっと引いた」
「こっから進んでいくと冒頭の風景になるのかな」
「通行できるのはこの木で出来た通路しかなくて、どんどん路地っぽくなっちゃうのよ」
「対岸も木が迫っていてなんかすごいな」
「昔はこういう場所、いろんなところにあったんだ。そんなに珍しいものじゃなかった。チャチャリンコで用水路に沿って走ってくと、どんどん道が狭くなって、ただの通路になっちゃって、しまいに幅30センチくらいのただのスキマになっちゃう。勇気を出して進もうとするんだけど狭すぎる。仕方ないって戻ろうとするんだけど、狭すぎて戻るに戻れない。通りがかりの大人の人に助けてもらうまで、何十分も立ち往生で半べそ状態。そんな思い出あるな。そんなこんなで、やけに懐かしい風景だった」

「これが終点?」
「この辺の水の淀んだ感じ、正真正銘の葛飾だーって思ったよ。正面にまわると排水場って看板でてた」

「足立区なんだ」
「何故か足立区。いつの間に越境してたのやら」
「なんか方向感覚失っちゃったんで、地図で確認しよう」

「綾瀬駅からこういうふうに歩いてきたんだ」
「最初が駐輪場、駐輪場が途切れた先を西に曲がると古隅田川の全貌が見える場所。東側にはマンション前の人工せせらぎ。反時計周りにぐるっと弧を描いてるその真ん中あたりが陸前橋だな」
「古隅田川と一口に云っても、その風景は千差万別で、やり方次第でこんなに違うのかって、それが凄い面白かったな」

「で、後ろを振り返るとこんな風景が、ってことかな」
「そういうこと。でさ、これなんか、ひと昔の葛飾の風景、そのまんまなのよ。雨が振りそうで、写真の色が変になっちゃったんだけど、ここはもう一回行って、ちゃんと写真撮ってきたいな」

「これはいいね。古隅田川と周りの緑と背景の家並みが調和してる」
「正面右がさっきの用水路的古隅田川、そっちから歩いてきて、振り返ったらこんな風景だった」
「こういっちゃなんだけど、葛飾区じゃないみたいだ」
「だよなぁ、おれも歩いてて、ここは金沢か?、とか思ってた。でもさ、用水路的古隅田川とは別世界に思えてしまうのは何故なんだろ」
「たぶん、周囲の緑が分厚いからじゃないかな。例えば、写真右手の植栽。道路の反対側の木々がうまい具合に川岸斜面の緑とつながってる」
「あそこはレンゴーって工場の敷地なんだよ」
「なるほど、そういうことか。なんかさ、用水路を暗渠にしたのってよくあるじゃないか。でも大抵は、家の裏側なんだよな。それで、家の生活感が生々しく出ちゃうじゃないか。その生々しさが用水路跡の小奇麗な意匠とぶつかりあって、妙な感じになっちゃうんだけど、ここはそういうのがないもんな」
「まあ、おれはそういうの、好きだけどな。で、進行方向正面はこんな感じ」

「右岸に用水路的な名残りが残ってるね。こういう風景は嫌い?」
「いいと思うよ」
「...って、それだけ?」
「いや、ほんと全然悪くない。散歩にはちょうどいい気持ちのいい道と川だなって。そういうのって、他に云い様がないじゃないか」
「実際、歩いてどうだった?」
「いや、工場前の気落ちよさげな道は歩いてない。対岸の方に俄然興味がいっちゃったからさ」

「これが対岸?」
「そう。ここをずーっと歩いてった」
「いいのか?、そんなことして」
「だってれっきとした公有地だぜ。いいに決まってるじゃないか」

「ほんとだ。公有地だわ」
「だろ。ここはかなり面白かった」

「結構、大きな木が生えてるんだな」
「そう。でさ、こんな路地なもんだから、めったに人は歩かないんだと思うんだ。それで、道端に雑草が生えて、元々の植栽、うっすらと右側に見えてるのが公的に整備した植栽なんだけど、それが埋もれちゃっててさ、そういうのが実に良かった」
「相変わらず変な場所に感心するんだな」
「いや、『変』ってのは偉大なんだよ、おまえにはわからないだろうけど。思うに、そこいら辺が『散歩』と『まちあるき』の違いなんじゃないのかな」

「小菅の風太郎?」
「ここを通った殿様に、とうもろこしがぶち当って、それで畑の持ち主が手討ちになっちゃって話。なんかさ、落語の『たがや』みたいでさ、それが面白かった」

「木の脇に見えるのが、風太郎の説明かな」
「そう。ちなみに左に家が建ってるだろ。さっきの川岸路地を歩いてきたら、この家の脇に抜け出た」
「こっちからじゃ、抜け道になってるなんてわからないな」
「かもしれない。つうか、はじめて来た人には無理だな。でも、それがいい!」
「手前に見えるのは町内会の掲示板かな」
「うん。町内会の掲示板、大きな木、木を囲むベンチ。結構、この組合わせがよくってさ」
「川とか用水路の跡地って、こういうのと組み合わせると抜群の風景になるんだ」
「ほんと、そう思うよ。小菅のまちあるきのときは、ここを集合場所にしてもいいくらいなもんよ」
「雨、降ったら駄目じゃん」
「つうか、雨降ったら歩かないだろ、普通」
「そりゃそうだ...」

「『うわっ!、子供の頃の記憶、そのまんまだっ!』ってんで、小走りになっちゃった、そういう風景だよ」
「まるっきり、ドブにしかみえないけど」
「それは失礼だろ。そんじょそこいらのドブとは格が違うんだよ。一応さ、古隅田川なんだからさ」
「場所の確認をしたいんだけど?」
「綾瀬の方から南に歩いてきて、T字路にぶつかった。そこを右に曲がると一つ前のエントリのような人工的なせせらぎが出現。で、左手に進むと、このドブが出現。人工的なせせらぎとこの巨大ドブは一本につながてるんだ。ざっとこんな位置関係になるかな」
「自分でも、ドブって云ってるわ」
「いや、ドブでいいよ。実際、ドブの記憶だもん。でもさ、これだけ立派なのはそうそうお目にかかれなかったんだよ。葛飾じゃ、上下之割用水と小岩用水くらいじゃないのかな。ここまで立派なのって」

「左側は親水公園っぽくしてるのかな」
「うん。児童公園からスロープが延びてて、そのまま水辺に近付けるようになってた」
「ドブに近付くのか?」
「だから、ドブ、ドブって云うんじゃねえよ!」
「じゃ、なんて呼べばいいんだよ?」
「うーん、そうだな。格上のドブとか、ドブの親分さんとか...」
「なんだかなあ...。おまえ、地元の人に叩かれるぞ。実際、匂いとかどうなの?」
「どうなのって、おまえなぁ、今どき腐臭がするわけないじゃないか。そういうのは、高度成長で急に人が増えて下水が整備されてない時代の話なんだよ。今はそんな時代じゃないんだよ」
「でも、おまえの中ではドブなんだ?」
「だからさ、おれがドブって云う場合、そこにリスペクトが込められてるんだよ」
「なんだよ、リスペクトって?」

「だってさ、冷静に考えてみろよ。こんなのが町のど真ん中にドドーンとあったんだぜ。それだけで、凄いことじゃないか」
「無用の長物にしか思えないけど」
「まあ、時代はそういう風に判断して、片っ端から埋められちゃったんだけどね。実際、何かの実用になってるかっていうとかなり怪しかったしさ」
「逆に云うと、何でここだけ残ったんだろうな?」
「駅から遠いしさ、駐輪場にしても使う人いない、とかかな?。あと、交通量もそんなでも無さげだし。まあ、自分から見ると、残っただけでも奇跡だな。こんなの見れただけでも今回歩いてよかったよ」

「さっきの写真はここから撮ったのかな?」
「そう。この橋もさ、普通に橋だった。変に風景の小道具としてでなく、普通の橋が普通のドブに架かっているわけで、それがとてもよかった」

「古隅田川自然再生区域?」
「うん。なんか、こういう取組みをしてるらしいんだ」
「メダカ、モツコ、トンボ、ヤゴ...実際に目にした?」
「いや、そこまでじっくり観察はしなかったからさ」
「でも、釣りは禁止じゃないんだ」
「うん。その辺のゆるい感じはとてもいい。好感が持てる」
「ブラックバス、コイを放流するなってのは、いかにも今の時代を反映してるな」
「時代って云えばさぁ、なんか、複雑な思いなんだよなぁ」
「どういうこと?」
「だってさあ、おれが子供の頃は、すでにこういう都市河川、用水路はドブ以外の何ものでも無かったんだよ。もう、かれこれ数十年間からずっとね」
「はぁ?」
「今回、葛飾の町を歩くにあたって、町の人に、用水路のことを必ず聞いていることにしたんだ。生き物はいたか?、ザリガニ採ったか?、水は澄んでいたか?、みたいなこと」
「で?」
「自分よりひと回りもふた回りも年輩の方にも聞いてるんだけど、綺麗な用水路の思い出を語る人なんて、誰一人いないんだよ。ありゃドブだった、臭かった、変な泡が湧いてた、そんな思い出ばかりなんだ。葛飾のことを書いた本なんかも読んでみたんだけどさ、やっぱり、ありゃドブだった、なんだよ。自分が確認した中で、用水路の水が澄んでいたと云う記憶を証言してるのは、なぎら健一ただ一人だけ。それも、昭和30年代後半の水元で、当時の水元なんて葛飾の辺境、ただの農村、辺り一面360度水田地帯なわけよ。なぎら健一の家はそっから用水路沿い、下流に数十分のところなんだけど、そこいら辺では、もう水は濁っていてただのドブだったって書いてる。自分の世代になると、なぎら健一が水が澄んでたって書いた場所も、見事に濁ってたし、変な泡が湧いてた。トンボは見れたけどヤゴなんて棲んでなかった。もちろんメダカもね」
「何が云いたいの?」
「だからさ『再生』って言葉。再生ってオリジナルがあるわけだろ。けどさ、もうそのオリジナルを知ってる人間なんて葛飾にはいないんだよ。かろうじてオリジナル、用水路的原風景があるとしたら、それはヤゴでもメダカでもなくドブの匂いと生活排水の泡なのよ」
「自然再生の取組みを否定したいの?」
「全然。そういうことじゃない。たださ、これは『再生』じゃなくって『創造』なんじゃねえのと、そこいら辺が気になってる」
「おまえの云ってることは今いち意味わからんな」
「つまりさ、俺なんかからすると『再生』は二の次でいいのよ。もうさ、かつての用水路がそのままの形でありますって、それでよいわけ。つうか、むしろ、そこが問題なわけよ」
「ごめん。何を興奮してるのかわからん...」
「いいよ、わかんなくてさ」

「これは古代の東京だな。何かの文献で目にしたことあるわ。あらためてよく見るとかなり面白いな」
「そうか?、なんとなく撮っただけなんだけど、そんなに面白いか?」
「今の葛飾区辺りを見るとさ、江戸川はまあいいとして、中川は中川Aと中川Bだったんだな、ってのがわかる」
「なんだよAとかBって?」
「中川Aは今の中川、でもって、中川Bは亀有辺りから西に向かって流れる川。Bのことを古隅田川って云ってるわけだな」
「それがどうかした?」
「中川Bの流路をつたっていくと自然堤防があるだろ。微妙に高地だったわけだ。で、たぶん周囲より水はけも良かったに違いない」
「で?」
「地図をよくみてご覧よ。隅田川て縦に書いてるその『田』と『川』のすぐ右側の辺り。そこがさ、微妙に高地で水はけが良かったんだ。で、今の地図でいうと、そこってどこなんだろう?」
「どうだろ?、この地図じゃ大雑把すぎてわかんないや...」
「うん。だからここで書くことは単なる想像の域を出ないんだけど、もしかしたら、この自然堤防、堀切から東堀切を通る辺りじゃないのかな?」
「だったらどうなのよ?」
「ほら、堀切から東堀切にかけて、やたらと古い寺院が並んでるじゃない。室町時代とか鎌倉時代創建なんていうすごいのが、堀切を北東から南西にかけて一直線に並んでたはずだよ。それって、この自然堤防があったからなんじゃないのかな?。だとすると、堀切中央通りって、大昔からの街道だったのかもしれない」
「『もし』とか『かもしれない』とか、そんなのばっかりだけどなw」
「他にもさ、上下之割用水の流路がかつての自然堤防の脇を通っていたり、いや、なかなか面白いよ、これ」
「そうか...なぁ...。おれはそこいら辺は、あんまり関心ないから、どうでもいいや」
「ちゃんと調べないで歩くやつはこれだから....」

「おれはさ、古い歴史解読みたいなことより、こういう風景に関心があるの!」
「いや、これはこれでいいけどさ」
「だってさ、左に写ってる建物と、ドブもとい古隅田川の対照がさまになってるじゃないか。いや、実に絵になるよ。これはいい!」
「そうかな。ドブ...」
「ちゃんと歩かないで調べるやつはこれだから...」