東京バーベキュー ~歩くひと、佇むひと~

 
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30
 
昭和7年、奥戸
「さて、昭和7年の奥戸に進もう」
「つうかさ、まちあるき、もう3日後なんだけど...」
「だからなに?」
「...。あのさぁ、このペースでやってたら、間に合わないだろ」
「じゃ、今回で締めくくってしまうことにするよ」
「ほんとか?」
「ってことで、昭和22年ね。前回の地図と大きく変わってるところは?」
「新金線が開通してるってことぐらいかな。あとはあんまり変わってない」

●新金線の開通

「新金線の開通は1926年(大正15年)。当時はさ、総武線の始発駅は両国駅だったんだ。つまり、隅田川のこっちがわなので、東京まで繋がってない。それで、大変不自由した。特に貨物ね。お客さんは自分で都電に乗り換えてくれるけど、貨物はそうはいかないから」
「それが新金線とどういう関係があるん?」
「その頃、常磐線は既に上野まで開通してたの。千住で隅田川を越える橋が架かっていたんだね。それで、貨物については、総武線から常磐線へのバイパスをつくって、そっちから都心に運ぼうと考えたのよ。それが新金線の由来なの」
「新金線は細田も通過してるよな。細田歩いた時に見たかったんだけど、時間なかったんだ。客車も通して、それで細田に駅ができるっていう噂が何度も流れたらしいんだ」
「その噂、無理もないよね。新小岩駅ができたのは貨車の入れ換えをするのが直接の目的だったからなんだけど、ほどなく人も使えるようになったからさ。細田が期待しても変じゃない」
「なるほど」
「で、奥戸の風景との関係なんだけど、地図を眺めてどう思う?」
「どう?って...、うーん、あんまり影響はなかったんじゃないか。なんせ奥戸の町の隅っこだしなぁ」
「おまけに単線だしね。町はずれの水田をのどかに走る蒸気機関車って感じかな」

●2つの鎮守、点と線

「ここでちょっと復習しておこうか。前回の結論として、奥戸の町には二人の鎮守さまがいて、それが町の構造を複雑にしてるって話だったよね」
「ああ、そこが鎌倉新田とは異なるんだってことだった」
「中川の水色で大きく塗られている場所、今の陸上競技場の脇に天祖神社、そこからまっすぐ東に西井掘を越え、中井掘の対岸に八剣神社がある。どっちも奥戸の鎮守だった」
「昭和22年の地図にも天祖神社は書かれてる。八剱神社はよくわからないけど...」
「でも、別当の宝蔵院を示す卍マークははっきりわかる」
「ああ、これか」
「でさ、試しに右半分、左半分を手で隠して、交互に眺めてみてよ。まず、右半分だけ眺めてみる」
「奥戸新町側を眺めるんだな。用水路のほとりに立つ鎮守、その川下に中心的な集落。八剱神社の近くや下流からは、村の水田に水を入れるための小さな用水路が分かれてる」
「だろ。でさ、それって、鎌倉新田と同じじゃない?」
「うん、確かにそうだ」
「じゃ、次。今度は左半分、奥戸本町側だけを見てみると」
「こっちは天祖神社。やっぱりその川下に中心的な集落。天祖神社付近から村専用の用水路が分岐してる。あれっ、こっちも鎌倉新田と同じってことか」
「そうなんだよ。でさ、奥戸本町も奥戸新町も、鎮守付近から枝わかれした村専用の用水路は集落の中を通り、南側の広大な水田に至ってるわけ」
「ってことは、鎌倉新田と奥戸本町と奥戸新町は同じってこと?」
「そうみたい。でさ、奥戸の特徴は二つの区域が近くて絡まってるってことなのよ。そこが鎌倉新田とは違うわけ。鎌倉新田は1つだけど、奥戸は2つで1つってこと」
「どういうこと?」
「天祖神社と八剱神社を1本の道が繋げてるよね」
「うん。随分と真直ぐな道だ」
「たぶん、ここにも用水路が通っているはずだ」
「で?」
「この一本の道が奥戸の構造を読む鍵なのよ。二つの鎮守が近くて繋がってる、おまけに用水路もある。そのために、集落ができる過程で、新町側は本町側に、本町側も新町側に延びてった」
「それで、結果的に2つが繋がったということ?」
「たぶんね。そういう動的な関係性ってのは鎌倉新田には登場しなかったわけでさ、だから、これこそ奥戸の特徴と云っていいんじゃないかしら」
「鎌倉は点だけど、奥戸は点と点をつなぐ線ってことか」
「そう。地図を見るとわかると思うけど、この一本道の南側にもう一本、同じような道が見える。たぶん、この道も用水路沿いの道のはずだよ」
「2つの道路が梯子状につながってて、ここが奥戸の中心ってことか」
「そう。点じゃなくて、もともと線なんだ」
「元々、線だったのに、それを点だと思い込む。その勝手な思い込みが奥戸の町をわかりにくくしてたわけか」
「それが理由の一つだね」
「その言い方は、まだ、わかりにくくしている理由があるって事だな」
「その通り。その奥戸の特徴である線は、その後どうなりましたか?ってことで、次の地図に進もう」

●昭和22年の梯子の分解

昭和22年、奥戸

「奥戸街道が開通してるね」
「それで元々あった立石大通りから一直線で奥戸が繋がったんだ」
「ここでは、そのルートをよく眺めてほしいんだ」
「えっと、さっき話してた梯子のど真ん中を貫通してるわ」
「そうなんだよ。さっきまで二つの鎮守のネットワークと、その結果の梯子状の町並みってのが奥戸の特徴だって話してたんだけど、ここで梯子が南北二つに分解されちゃった」
「螺旋構造のDNAが分解酵素で2つにちぎれちゃったんだ」
「んっ?、おまえ、時々、すごくいい例えを持ち出すね。まさにそんな感じだ」
「別の方法はなかったのかね」
「どうかなぁ。元からある道路はどちらも、人家が建ち並んでる雰囲気だし、立退き云々で難しいんじゃないかな」
「片方に寄せるともう片一方に角が立つ。ならば、平等に中間地点にしましょうってことかもな」
「うん。とにかく、そういうことで奥戸街道がまっさらな土地に通ることで、古い町並みが分解されたんだ。わかる?」
「なんとなく。でもさ、それって今現在の地方都市で起ってることと、同じだよなぁ」
「ああ、そうかも。この地図は昭和22年で、奥戸は以降、どんどん都市化して行くんだけど、そこには郊外化と同じ変化が隠されていたんだね。その見方は面白いと思うよ」
「でもさ、通り抜け交通は表通り、一歩裏道に入ればいい町並みが...、っていうのも考えられる訳じゃないか。例えばさ、巣鴨の『おばあちゃんの原宿』なんてそうだろ。そこんとこはどうなのよ?」
「ああ、地蔵通りのことかい。あそこは旧中山道なんだけど、すぐ脇に白山通りが出来て、おかげで歩きやすい。地蔵通り沿いの高岩寺というお寺が、昔から、高齢者の人生相談みたいなのをやってることもあって、そんなこんなで、おばあちゃんの原宿ってことになっていったんだ」
「だからそういう風に展開する可能性だってある訳じゃないか」
「おばあちゃんかどうかはともかくとして、人が集まることで盛り場になっていくということはあるね。でも、奥戸の場合はどうっだったのか、それでは次の地図を見てみよう」

●中川放水路による孤立化?

昭和35年、奥戸
「中川放水路が完成してるね」
「昔から中川流域は大雨による洪水に悩まされてた。特に1938年(昭和12年)の被害は大きくて、浸水戸数6万戸を越えたんだ。それで、翌年昭和13年から放水路の工事が始まった。でも、戦争で工事は中止された。ところが、1947年(昭和22年)に例のカスリーン台風がやってきて、東京東部ほぼ全て浸水してしまったんだ。それで、放水路の工事が再開されることになる。完成は1963年(昭和33年)のことだね」
「放水路、どでかいよな。一度、歩いたことあるけど、人工の構造物とは思えないくらいどでかいわ」
「だね。で、これの影響で細田とのつながりが決定的に薄くなったと思うのよ」
「細田とつながってる上下之割用水も分断されちゃったしな」
「そう。大正の地図で見ると、二つの用水路の上流に向かって、人家が並んでるんだ。その先は細田なんだけど、そういう家の連なりみたいなの含めて分解されちゃったわけだね。で、奥戸はでっかい川に囲まれた閉じた町になっちゃった」
「放水路の工事は戦前からずーっとやってたんだよな。ってことは、一気に分断されたんじゃなくて、じわりじわりと閉じていったのか」
「そういうことになるね。さっきの盛り場の話に戻すと、こうなると、やっぱり盛り場になるのは難しいよね」
「だなぁ。むしろ、川で囲まれて、閉じてしまったおかげで、立石・新小岩・小岩の郊外地って感じだもんな」
「うん。遅れてきた郊外地なんだと思うよ、奥戸ってさ。遅れてきた分、今になって、他の町が体験してきた開発の波に、のまれていくのかもしれない。で、その時に開発の追い風になるのが、奥戸街道であり環七だと思うのよね」
「大正の話から、一気に最近に飛んだな」

●そして環七、とどめの一発?

「最後まで残ったのは葛飾区内の青戸八丁目から奥戸までの区間が開通したのは1985年(昭和60年)だね。この区間は環七の計画のうち、最後まで残った区間だった」
「ようやっと全線開通か」
「環七はそもそも、関東大震災の復興の頃から考えられてたんだ。けれど、戦争で工事が凍結されたり、GHQから『そんなものはいらない』って、拒否されたりしてなかなか進まなかった。戦後、ようやっと計画が決まったんだけど、これ、実はすごい計画だったんだよ」
「すごいって?」
「環七の計画は戦後の復興計画で決められたんだけど、その計画では幅100mとか80mとか、そのくらいでかい道路を考えていたんだ」
「交通渋滞対策?」
「いあ、それだけじゃない。幅100mの内訳には、これまたどでかい緑地帯が含まれてるの。名古屋に100m道路ってあるじゃない。環七もああいう道路にするつもりだったんだ」
「今じゃ、考えられないけど...。もし、環七がそうなってたら、奥戸の町並みも随分、変わってたかもしれない」
「今、環七がどこを通ってるか、今一度、確認してみようか」
「えっと、奥戸街道との交差点は...、中井掘と西井掘の中間地点だな。あれっ、ちょうど、元々あった梯子のど真ん中じゃないか!」
「そうなんだよ。このために、元からあった梯子は、東西南北4つの梯子の残骸に分解されちゃった。これが、キーポイントだね。こういうのは奥戸以外じゃ、そうそう見つからないよ」
「でもそれって、かなりキツイ話しだわ。奥戸街道だけならまだしも、環七はスケールが違い過ぎるわ」
「だよね。今じゃ、この交差点をぐるりと一回りするのだって、大変そうだ。これじゃ、昔の町の感じを頭の中で再現するのは無理だよ」
「それ、やってみたら?」
「やってみたらって、どゆこと?」
「だからさ、実際、3日後には奥戸を歩いてる訳だろw」
「おいおい、それをやれってのかよ」
「だってさ、実際、体験しないとわかんないじゃないかって、いつも、おまえ、そう云ってるよな」
「そりゃそうだけど...」
「地図で見る限りは分断以外の何ものでもないけど、それって本当なのか?、かつて繋がっていたもの、分断するもの...、じつはそれ以外にも何か別のものがあるんじゃないか?、もしそうだとしたら、それって大切なんじゃないの?。これから急激に開発されていくだろう奥戸を歩くにあたって、それこそ『あるものさがし』の核心じゃないかと思うよ」
「思うよ、って、なんか無責任だな」
「あともうひとつ云っとくと、中川放水路の対岸にも奥戸はあるよ。で、そこまで行くと、放水路工事の為に、線路を移し変えた昔の新金線の跡がみれるよ。ある意味、水路跡と同じ痕跡だから、おまえは興味持つと思うよ」
「おまえ、暗に、そっちまで行けっ!て、そそのかしてるだろ...」
「そういうことで、後はヨロシク!。じゃあね」
「だから、嫌な予感がしたんだ...ぶつぶつ...」
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Tag : 奥戸 
    15:04 | Top
 
24
 
奥戸、大正9年
「大正9年の奥戸。あえて周辺も含めて載せてみたよ」
「前回行った鎌倉と比較するとでかさがわかるな」

●用水路

「まず全体像から。中川左岸、北から南へ末広がりに延びてく5本のライン、わかるかな?。鎌倉新田から時計周りに、佐倉街道、小岩用水、東用水(東井掘)、中用水(仲井掘)、西用水(西井掘)だね」
「鎌倉歩いた時に、佐倉街道と小岩用水は見たな。それから、東用水も細田の時に見たわ。今回は、仲井掘と西井掘ってことか」
「これら用水路の源流は水元小合溜から流れる上下之割用水だね。水元公園の桜土手の手前のでかい釣り堀、あそこが上下之割用水の出発点になる。小岩用水が上下之割用水から分岐するのが新宿、その後、高砂で東用水が分岐する。でもって、奥戸と細田の境目くらいで仲井掘と西井掘が分かれる」
「西井掘、仲井掘は現在の地図で云うとどの辺りになるんだろ?」
「仲井掘と西井掘が分岐するのは現在の細田橋の辺りだね。西井掘は奥戸小の脇を通り、奥戸街道の変電所のところからサニーボールの前を南に進んでく。サニーボールの近くには西井掘公園にその名が残ってる。で、そのまままっすぐ。蔵前橋通りと平和橋通りの交差点のところに出る。あの辺りは親水公園になってる」
「仲井掘は?」
「細田橋辺りで始まる仲井掘は、しばらく新中川の川底を流れてから、八剱神社の脇を南下、環七と蔵前通りの立体交差のところに出てくる」
「仲井掘は新中川の川底なのか。ちょっと切ない話だな。川底じゃ、名残りがあるのか無いのかさえ確かめられないや」
「まあ、中川から西井掘、仲井掘を越えて東用水の手前辺りまでが、概ね奥戸の範囲ってことだね」
「やっぱりでかいわ」
「次、道路を見てみよう」

●奥戸街道

「主要道路と云えばやっぱり奥戸街道だな」
「元々の奥戸街道は、今より北を通ってる。立石から熊野神社・南蔵院を抜けて奥戸橋、奥戸橋からそのまま東へっていうのが元々のルート。細田を抜けて鎌倉をかすめ、東用水と交差する辺りでちょっと彎曲してるけど、ちょうどこそが愛国学園がある場所になる」
「この頃、奥戸橋はもう架かってたんだ」
「一つ前のエントリに載せた大正6年の地図では、まだ渡しのままになってるから、架橋はつい最近と云うことになる。立石・奥戸間は、3つの渡し舟があった。一番北は帝釈道から諏訪野へ渡るやつ、二番目が奥戸橋のところ、三番目が南蔵院の脇から南側の対岸へ渡るやつ。北のやつは廃止され、元来の奥戸街道の渡しは奥戸橋に、南対岸へ渡るやつは本奥戸橋が引き継いだ形になるね」

●集落

「新しく造った奥戸街道っていうと、何だかバイパス的なものをイメージしちゃうけど、その辺りも元々たくさんの人が住んでたんだな」
「今の奥戸街道、中川から西井掘、仲井掘、東用水の手前まで、集落が広がってるね。それから、元々の奥戸街道沿いにも集落が連なってる。この頃の村役場は、こっちの古い奥戸街道沿いにあったんだ。地図で○印が書いてある、今の三和橋の近くだね。この場所も新中川の底に沈んでしまった」
「町の産業インフラだった仲井掘も、村役場も川の底ってことか。うーむ...。これはまさに、とりとめがないわ」
「鎌倉新田が一点中心的にコンパクトにまとまっていたのとは対照的だね。奥戸は、ばらばらと繋がって、全体として大きな村になってる」
「その辺も、とらえどころのない理由なのかもなぁ。鎌倉新田はピンポイントで集落があって、集落の入口に鎮守の神様がいてという風に、とてもわかりやすい構造だったんだけど、奥戸はそういう風に把握するのが難しいわ」
「連なってる集落をひとつずつ見ていけば、鎌倉新田みたいな分かりやすさがあるのかもしれないけど...。ちなみに、旧奥戸新田の鎮守は、さっきも登場した八剱神社だね」

●集落と神社

「はっさく神社?」
「違う!。はっさくじゃなくて、やつるぎ!。罰が当るぞ、おまえ」
「いやいや、冗談だからさ、真に受けるなよ。八剱神社ってのは仲井掘の脇にあったんだよな。ってことは、やっぱりフレッシュな水の取り入れってことなのかな?」
「うーん、単純にそれだけとは言い切れないんじゃなかしら。奥戸新田は三河の国の杉浦小左衛門という人が開拓したということになってる。で、その杉浦さんが勧請したのが八剱神社。天文5年(1536)の創建だよ」
「ってことは、室町とか戦国時代の頃なのか。鉄砲が日本に伝わるより昔だ。江戸時代由来の新田開発なんて目じゃないってくらい古い話じゃないか...。そりゃ、町の構造も複雑になって当然だわ」
「さっきも云ったように、奥戸は複数の集落が繋がりあって出来てる。町の区域も膨大だし、だから、鎮守の神様もひとりじゃないのよ。スポーツセンター陸上競技場の隣に立ってる奥戸天祖神社だけど、あそこは旧奥戸村の鎮守様だよ」
「そこは昔、行ったことあるわ。やたらたくさんの神様がいて、めちゃくちゃぶっといしめ縄があったな」
「あの辺りは他にも興味深い神社があるよ。例えば、これも陸上競技場脇の水神社。ここは人柱伝説ってのがある」
「人柱?」
「享保の頃、幕府が中川の開削改良工事やったのね。なんでも人柱はその工事と関係あるらしい」
「なんか恐ええ!」

●水田

「奥戸村の集落から南西方向に曲がりくねった道・用水路が見えるけど、その道から南側はほぼ水田だね。この曲がりくねった道・用水路は、一部分は現在も確認できるよ。変電所の奥、妙厳寺わきのうねるような道路がその名残りだね」
「町の南側が見渡す限り水田だわ。っていうか、今の森永の工場がある場所も水田だったんだな」

●中川

「森永もそうだけど、中川沿いで一番の注目は、七曲りの湿地帯だね」
「今は総合スポーツセンターになってる」
「中川を舟で上ってくると、進行方向右手に巨大な湿地帯が見えてくる。左手に目を転じると、対照的に安定した地盤の土地が見えてくる。立石様は石を信仰してるけど、中川からの目線で考えると、立石様の存在意義ってのがはっきりとわかるよね」
「象徴的な、とてもシンボリックな目印ってことだな」
「ちなみに、奥戸の名の由来は、『奥の津』らしいんだけど、それも中川目線で考えると十分納得できる」
「それはよくわかるわ」

●地形

奥戸の地形
「じゃあ、大正9年の締めくくりに地形図を」
「茶色のところは自然堤防?、だったっけ?」
「まあ目立って高くなってる訳じゃないけど。どちらかといえば、水田で掘り下げて、宅地化でかさ上げしてっていうのを、あんまりやってない場所くらいの気持ちで眺めればいいと思うよ」
「確かに、古い方の奥戸街道も、今の奥戸街道も、どちらもその色に染まっってるわ。古くから人が住んでて、水田オンリーの使い方ではなかったってことだよな」
「うん。それと、八剱神社の辺りも茶色になってるね」
「鎮守様の居場所は茶色なんだ。これって鎌倉新田と同じだわ」
「高低差についてはどうだろう?」
「奥戸の辺りを0mのラインが走ってるわ。何となく、集落と水田の境界線に重なってる気がしないでもないわ」
「高度成長期の地盤沈下の影響が残ってるから、安易に判断は出来ないけど、高低差と水田利用の関係が見えてくるね」

●ここまでのまとめ

「ということで、大正9年の地図を元に、オリジナルの奥戸を眺めてみたんだけど、ちょっとは役にたったかな?」
「うーん...、どうだろうなぁ...。やっぱり漠然としすぎてるわ。少なくとも、これが奥戸です!って語れるところまでは行けてないな」
「うん。たぶん思うに、奥戸って複数形なんだと思うよ」
「複数形?」
「鎌倉の成分は単数形、でも、奥戸の成分は複数形ってことさ」
「なんだよそれ?」
「奥戸って複数の集落とか区域が連なりあって出来てる訳。でさ、これが鎌倉です!って理解の方法自体が、単数形に対する把握の仕方なのね。でも、奥戸は単数形じゃなくて、強いて云うと『奥戸s』になってるのよ。奥戸単品ひとつずつに対してなら、これが奥戸です!って言えるのかもしれない。例えば、鎌倉は緑です!っていうとするじゃない?、そういう風に奥戸を云おうとすると、奥戸は青です、奥戸は黄色です、奥戸は紫です...みたいなことになっちゃうと思うのよ。それを一言で言い切ろうとして、ごちゃ混ぜにすると、結局、灰色になっちゃうみたいなさ」
「でかい町の宿命だな、それって。たしかに、中川、用水路、古くからの集落と水田、そういう風に軸を設定して歩けば歩きやすいんだろうけど、それって、奥戸s(複数形)の一部分だもんな。なんかわかった気がしたけど、でもその例え方はいまいちだったよ」
「どういうこと?」
「単純にさ、鎮守様がひとりの町を歩く時と、複数の鎮守様がいる町では歩き方を変えましょうよ、ってことでいいんじゃね。複数の鎮守様がいる町なのに、鎮守様が一人しかいない心算で歩くなんて、歩くおまえがたわけ者!、ってことだな」
「なるほど、おまえ、珍しくうまいこと云ったな。それともうひとつ。今回はオリジナルな色に着目したんだけど、ここから大きく変化していくわけよ、奥戸ってさ。つうか、今も変化の真っ最中なんだけど。それで、次回はオリジナル奥戸s(複数形)がどう変化していったかを眺めてみることにしよう」
「げっ!、まだ続く...。だから、嫌な予感がすると...」
Tag : 奥戸 
    14:11 | Top
 
23
 
奥戸、大正6年
「さて、次回は奥戸だよ」
「まだ鎌倉のまとめも...」
「前も云ったけど、1年で全30町を歩くんだからさ。時は待ってくれないのよ」
「わかってるけどさ...、おれ的には前回の経験を活かしつつ歩きたいんだよ」
「じゃ、今日はこれまでのまちあるきを振り返りつつ、奥戸の地図を眺めて何を思うかってお題でいこう!。ちょうど、地図に鎌倉も載ってるし、丁度いいんじゃないの」
「ああ、それでいいよ。おれ的にも、『地図を読む』の反省会が必要と思ってたし」

●まちあるきは町の全体像に迫れるか?

「で、どうだった?。鎌倉の経験を踏まえて、奥戸の地図を見ると?」
「鎌倉まちあるきはとても面白かった。町の人とたくさんしゃべれたしさ、ちゃんと歩けた気がする。鎌倉ってこういう町ですよってのが、何となくわかりかけた気がするってかさ」
「そうなの?。たかだか一日歩いただけで、町がわかったなんて云うのはおこがましい、大変失礼なことだと、前に云ってなかったっけ?」
「うん。それは今でも思ってる。でもさ、わかりかけた気がするって思えないのは、やっぱり駄目なんだよ」
「珍しく断定した言い方だね」
「例えばさ、その町の呑み屋に入るとするじゃないか。で、隣に座った人と世間話なんかするわけ。当然、この町はどうですか?みたいな話題になるよな?」
「うん」
「鎌倉だと、鎌倉ってこんな感じですよね、ってことがしゃべれる気がする。でも、最初に歩いた細田とか青戸の場合は、しゃべれない気がするのよ」
「どういうこと?」
「いや、単純にさ、歩き回ってないから。どっちも、町のほんの一部分しか行ってないからさ。歩いてない、見てない風景を語るってのは、基本ヤバイだろって」
「鎌倉は歩けた?」
「あの日は本番のまちあるきで1時間半くらい歩いたの。でも、おれは早めに鎌倉に着くようにして、町をぐるぐる歩き回ったのよ。たぶん2周くらいしたんじゃないかな。それから、その町のお店で昼御飯食べて、煙草吸った。そしたら相席のおじさんが『兄ちゃん、珍しいの吸ってるね』って声かけてきてさ。おじさんと世間話して、町の話題も出て、店員さんとも世間話して、それから、またぐるぐる歩いた。それで、ようやく体が町に馴染んできたっていうかさ。おれの場合、そういうのが必要だな」
「馴染んだつもりになれるってのが?」
「そう。おこがましいのは承知の上で、『馴染んだつもり』まで自分が降りていって、そっからようやく、まちあるきが始まるって気がするんだ」
「細田や青戸は降りて行けてなかった?」
「それは単純に、歩いてないからね」
「所詮、外部の人間なんだし、そこまで入れ込む必要ないと思うんだけど?」
「いや、そこは違うな。例えばさ、この前のまちあるきで、鎌倉という町が好きになったと思うんだ。少なくとも、そういうふうに町の人に語れる。で、語れるっていうのはおれ自身の問題。けど、今のままでは、細田は語れない。語ること自体を躊躇してしまう。それもまたおれ自身の問題。2つの違いはなんだと思う?。誤解してほしくないんだけど、鎌倉が好きな町で、細田が取っ付き難いってことじゃないのよ。町の側の問題じゃない。おれの問題ってこと。細田はそこまで降りて行けてなかった。ただそれだけの違いなんだけど、その違いが決定的に大きい」
「おまえにしては珍しく哲学的な発言だなw。そういう経験から想像するに、奥戸についてはどう?」
「うん、これは難儀だって思ってる。なんせ、馬鹿でかい。地図で比べると一目瞭然だけど、鎌倉ってとても小さな区域なのよ。しかも、町の型がシンプルでわかりやすい。古くから集落だったこじんまりした区域があって、その周りを戦後に市街化した区域が囲んでる。2つの区域の境界は今でも体感することが出来る。でもさ、そういう鎌倉でさえ、体に馴染むのにたっぷり半日かかってるのよ。これが鎌倉なのかなぁって、小声で語れるところまで半日かかったってこと。奥戸って驚異的にでかいじゃない。町の型も、鎌倉の何十倍も複雑なのは地図見てもわかる。たぶん、鎌倉と同じことやろうとしたら、これ、一週間はかかるわ」
「なるほどね。奥戸の場合、全体像を感じて歩くというよりは、ピンポイントで考えながら歩くのかな?」
「どうだろ?。例えば、細田で最初に目に留まったのは、牛乳屋さんの配達用の搬出口だったんだ。ああいう歩きかたになるのかもな?って想像してたりする」
「おまえがさっき云ってた、『奥戸ってこうですよね!』って語れるところまで降りていくのは無理ってこと?」
「たぶん...。一度に歩けたフリをして誤魔化すより、もう一度行ってみようかって、そういうのが見つかるような歩きかたになるのかもしれない。細田の牛乳屋さんの搬出口を例に出したのは、あれがまさに、『また行ってみようか...』っていう町への入口になってるからなのよ」

●地図を読むことのメリット

「なるほどね。『地図を読む』シリーズについてはどうよ?。歩く上で役に立ってるのかな?」
「鎌倉に関してはドンピシャだった。コンパクトな古くからの市街地があって、その上で町全体にうっすらベールが掛かってるようなイメージを地図から受けてたんだけど、それは当ってた」
「具体的には、どんなところが?」
「最初に小岩用水脇でお店やってる人と話ししたんだ。昔、まだ水が流れてた頃の話が聞けて、臭いとカエルの鳴き声が印象に残ってるって。それから、土地の高低差の話になって、こっち側はあんまり水は出なかったけど、反対側は一面田んぼだったからさって話になって、で、例によって腰を屈めて地面を追うと、実際、今も微妙な斜面は残っててさ、小岩用水の東側が高くて、西側は低かった。用水路跡から西に向かって歩くと、下り坂になってたんだよ。用水路跡の方が西側より地面が高いわけで、おおやっぱりそうなのか!って我ながら驚いた。柴又街道も、環七みたいに強烈に町をぶったぎってるわけではないにしても、マイルドに町を分けてるってイメージしてたんだけど、これも当ってた。地元の人に聞いたら、小学校区の境界になってて、それが分かれてるイメージの理由の一つみたいなんだけどね。町の成り立ちと無関係にバサッと通してしまった直線道路って、確かに学校区とかの管理には都合がいいわけでさ、ああなるほど町を分けるってのは、こういうことなのかと妙に納得してしまった。それから何と云っても、古い集落と戦後市街化した区域の違いだな。これも地元の人に聞いてみたら、『向こうは家がびっしり建ってる』って言い方しててさ、向こうってのが新しめに市街化された一帯なのよ。おれは鎌倉ってやたら木が多い!ってのが先入観としてあったんだけど、それは旧市街地の記憶だったんだなとか、区境ってやっぱ断絶してて、だからこそ変な風景が続出して面白いんだとか、なんかそういうの全てがリンクしていくのを実感して、それって地図を読んでいったからなんだと、それは感じた」
「なんか、自画自賛だなw。それとさ、一気にまくしたてたけど、そういうのこそ、まちあるきの報告で書いたらどう?。最初の予想通りだったのか、どういうふうにズレてたのか、写真とか具体的な雰囲気がわかるようにしたらいいと思うよ。まあ、結論的には、まったく役に立たない訳でもないと、そういうことかな」
「おまえ、いま、さりげなく難儀なことをつぶやいたぞ。仮説と検証ってことだろ。おれの一番苦手な分野だわ。まあ確かに、やらないより、やったほうがいいわな。でもさ、これも鎌倉だからこそなんじゃないかと思うのよ。やっぱ、奥戸はとてつもなく大きく、なおかつ複雑だよ...」
「心配する前に、実際にやってみるとしようか」
「...、やるのか?...やっぱりやるんだ...なんだか、膨大なエントリになりそうな嫌な予感がするんだが...」

(つづく)
Tag : 奥戸 
    16:03 | Top
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