
日経春秋 春秋(4/28) - finalventの日記を読んでなんとなく考えたこと。
私の散歩コースにもこの手のご老人がリュックサックを背負って行進されるので、風情がなく呆然としてしまうことがある。行軍というか予定をこなすという雰囲気だ。
家に、散歩を題材としたムック本が一冊ある。町を歩くにあたってさしあたりの手がかりはなんだろう、私の場合「そりゃ、WEBでしょ」で、ずっとそこから離れられないでいるのだけど、他の人はこういうのが手がかりなんだと古本屋で見つけて購入した。いまだ、そのムック本を参考にすることはまったくないのだけど、なるほどと思ったのが綴じ込みの企画広告だった。下町を背景にモデル夫婦の写真、「動きやすさだけでなく体型もカバーできる」「着まわしも体型カバーもできる」「紫外線対策もきちんと考える」といったキャッチコピーが並んでて、洋服や帽子やかばんが通販で手に入れられるようになってる。もしかしたら、こうしたマーケットが成り立ってるのだろうか?
テレビはどうなんだろうと散歩企画番組を見て、「ちい散歩」が面白いというのが自分なりの結論だった。あの番組は、通販メインの番組だと思うけど、SEOっぽい仕掛け、全然ないね。
昔、東南アジアを貧乏旅行したことがあって、最初の頃は、Tシャツ・半ズボン・ウエストポーチ・ビーサン、不精髭、いかにもバックパッカー然として歩いてたのだけど、いつのまにか、てれてれのスラックスにてれてれの長袖シャツがメインになっていた。ちょうど、旅が面倒くさくなってきた時期と重なってる。化繊のてれっとした服が結局は気候にあってるというのと、何よりも地元の普通の格好が便利だったのだ。いま、東京の町をいろいろ歩いてみたりするけど、私の場合、服も靴も普段のものばかりだし、デジカメも持ち歩かないことが多い。パチンコ行って、喫茶店寄って、ああタバコ切らしちゃったって、そのくらいの気持ちで歩くのが町にまぎれてちょうどいい。
でも、情報誌とか地図片手に歩くってのはちょっと違うしとか思うけど、「パチンコ→コーヒー→タバコ切れたよ」的格好で歩いてみても、やっぱり違うのよね。あんまり、まぎれない。この辺のギャップって何だろうという部分での自分なりの取り組みが、WEBだったんだけどね。まぎれる格好だけじゃなくて、図々しさみたいなのをどうするかっていう。知らず知らずのうちにシミ出ちゃうのが図々しさだから。情報紙とか本とかってすごい体系的で整理されてて、いやウチの出版物はそういうコンセプトじゃないよというつくりでも、やっぱり構成されてる。それだと、やっぱりシミ出ちゃうんじゃないかと。
ということをメモしておいてつづく。
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区の半分をささっと歩くことで町の構造を体で理解するという歩き方が、砂町辺りではさっぱり役に立たなかったというのが前回エントリのお話。なぜ、さっぱりだったのかを考える糸口が砂町銀座商店街を書いたこっちのエントリ。
これまでの町歩きでは、事前に片っ端からWEBを廻って、その町について調べまくる。歴史も文学も焼き鳥もラーメンも桜の名所も公共事業もとにかく調べまくる。調べてわかったことをもとに、町歩き体験記を書く。もちろんその町に行ったことなどないのだけど、あたかも行って目で見てきたかのように体験記を書いてみる。「あたかも見てきたかのように...」,これを重視した。その上で、初めて町に出てみるというやり方。
なんでそんなことをやったのかというと、「WEBに書いてあることってどこまでのっかれるんだろうか?」というのを確かめてみたかったのだ。「情報を信用してよいか?」ではなく「のっかれるか?」と書いたのは、「情報全体が町を表わしてしまっているか?」ということに関心があったからだ。WEBに様々な情報が集まってきているけど、そういう個々の情報が集積していくと、町に近付いて行くのだろうかというようなこと。人が勝手に集まってきて住んでそれでも町になるのなら、勝手気ままなWEBのコンテンツが集まってみたらやっぱり町になっているんじゃないかと、雑にいうとそんな発想。だから、町に出るときも、WEBで知った情報ひとつひとつを確認するというよりも、情報全体から仮想の体験記を起こしてみて、そこで、あたかも見てきたように書き、あたかも体験したかのように驚き、満足してみるというようなことをやってみたのだ。
これ、結果はまんざらでもない、というのが今のところの判断。で、王子は円グラフだとか、町屋〜王子は串刺しにした団子だとか、千住〜浅草橋は吹き出した炎だというのは、上のようなことをやって得られたことの副産物ということになる。自分としては、こっちの副産物、WEBと町歩き組み合わせで得られた体感!に驚いたというわけ。でも、砂町では体感はなかった。WEBが著しく劣化した情報ばかりだったということはない。ただ、WEBから想像する全体像と、町の景色はすれ違ったままだった。砂町はただただ海が続くだけで、海の中にポカンと商店街という島が浮かんでるだけだった。円グラフとか串刺し団子とか妖艶な炎も立ちのぼることはなかった。寒い季節がやってきたこともあって、町歩きをしばらくお休みすることにした。
全体を小走りしてわかった気になってさらにのめり込む式の町というのがある。それでは、取っ掛かりが得られない町というのがある。たぶん「全体」ということに関係するのだと思う。それは、「在郷」という言葉とも関係するのだと思う。ところで、在郷に広がる「海」は本当に海なのだろうか。もしかしたら、海の中に見えない水路が地下茎みたく広がっているんじゃないか。
というわけで、今年も町歩きます。
※)写真は葛飾区立石。
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