東京バーベキュー ~歩くひと、佇むひと~

 
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より大きな地図で TKO-BBQ vol.08 三河島~山谷、境界漂流紀行 を表示

多分に無意識だったのだけれど、これまでのまちあるきでは、東京都心から延びる放射上の線をイメージし、その放射線に沿って歩いてきたように思う。それから、立石に通いつめてみた。「ああ、下町ツアーですか情緒あふれてていいですねえ」などと言われると、「はい、どうもどうも」などと答えていたのだけど、一筋縄の「はい」ではない異物感があった。なんでこんな歩き方をしてるのか、情緒ではないな。僕の場合。

放射線のどこかに急激な屈折する地点があって、それは旧東京市の市境にあるのだと、随分と前に気づいていたのだけど、ようやく何度かに分けて歩く機会があった。

Wikipediaによると、

廣辞林 昭和五年発行七十二刷には 下町式の項に「下町とは東京市にて山の手に對して、京橋・日本橋・神田・芝・深川・本所等をいふ」という記載がある。また。東京の下町は運河や小河川が縦横にあり、橋を渡らないと隣町に行けないところという見解がある。この地域には道路や川を越した先を「むこうがし(向こう河岸)」という表現がある。

なのだという。旧東京市が周辺郡部を吸収し大東京35区制を引いたのは昭和7年だから、この昭和5年というのは、旧東京市(15区)が熟れ切っていく時期にあたる。

大正から昭和にかけて、東京市の人口は増加し、東京は急激に拡大している。きっかけは第一次世界大戦(1914、大正3)以降の軍需含む重工業化であり、都心・隅田川・湾岸の開発が進む。早川徳次率いる東京地下鉄道が上野~浅草間に地下鉄を通したのが昭和2年、羽田空港開港したのが昭和6年。加えて、関東大震災(1923、大正12)がある。震災で東京中心部から焼け出された人が移ってきた。もともと東京一人口密度の高かった下谷・浅草(台東区)はもとより、荒川区や向島(墨田区)、本郷・小石川(文京区)に未曾有の人口増加の波が押し寄せてくる。

そのような時期であっても、「運河や小河川が縦横にあり、橋を渡らないと隣町に行けない」ような場所が下町なのであって、それは「京橋・日本橋・神田・芝・深川・本所」に限られていたのだ。当時の東京の平均余命(大正10~14、1921~1925)は、男38.6歳・女39.4歳で、全国平均値より4歳も短かったという。そういった特徴は、本来の下町ではなく、今回歩く一帯に顕著な特徴であっただろう。

山谷も三河島・三ノ輪・南千住も下町ではなかった。

詳しくは、「大正15年の東京を地図で振り返りましょう」を参照していただきたい。ここには、「大正15年に発行された「(早わかり番地入)東京市全図」(ホンモノ)」が、QuickTimeVRでそのまま掲載されている。僕自身、何度もカーソルを移動させて楽しんでしまった。

下町ではなかったけれど、近代化とか震災とか戦災とか、そういうことに端を発する都市の巨大化により、かつて東京の淵だったはずが、あっという間に巨大化する東京の濁流に飲み込まれていった。急激すぎるがゆえに、古いもの溶け切らずに残りながら時代時代の現象と混濁し、不思議に折れ曲がった風景。

以下は、12月30日、1月24日、2月21日の、三河島・三ノ輪・南千住・山谷まちあるきの報告です。

  1. 三河島~山谷、境界紀行。
  2. 夜の闇は街を宝石箱に変える。
  3. 三河島駅
  4. 三河島のY字路。
  5. ベランダの鳥居。
  6. 気持ちの良い場所の誇らしげな階段。
  7. 三河島と在日。
  8. 三河島朝鮮マーケット
  9. 三河島、仲町商店街
  10. 判じ物。
  11. 三ノ輪橋電停近くにて。
  12. 三ノ輪橋電停のレトロ。
  13. 王電ビルヂング。
  14. 首切地蔵、西日。
  15. 赤茶色の隅田川駅。
  16. コンパやらないか。
  17. 山谷
  18. 大林 -酒を酒として飲みに来る連中の店-
  19. 山谷で朝を迎える。
  20. ヒトトシテ - 玉姫公園 -
  21. 橋場 - Gasholder City -
  22. 橋場不動院
  23. 白髭橋
  24. 橋場の煉瓦蔵
  25. 朝の光 - いろは会 -
  26. 廿世紀浴場 - 廃業 -
  27. 路地と廿世紀浴場。
  28. 土手通りの建具屋から土手通りを考察する。
  29. 伊勢屋、中江、歴史的景観。
  30. 吉原神社
  31. 鷲神社
  32. 女整体師いたきも堂
  33. 吉原弁財天、吉原観音像
  34. 酒屋さんの看板。
  35. a stairway to heaven
  36. 伝法院通り、江戸まちづくり景観整備事業
  37. 東日暮里の住宅地
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南千住の夜

これまで何回か訪れた南千住駅のどれとも違った風景だった。例えば、あの時の南千住。今、工事中の再開発ビルが完成したときには、南千住駅の周囲一面がこのような景色に染まるのだろうか。少しだけ南千住駅周辺を歩いてみることにした。ここ以外の街は光り輝いているわけではなく、闇の中にネオンが灯っているといった様子だった。

灯ったネオン越しにウッドベースが見えた。たぶんそこは喫茶店なのだけど、などと思い、ドア越しの店の中を覗いていたら、背後に車の停まる気配がした。小さな車からは、バンドのメンバーが降りてきた。ジャズライブのようだった。

この日は、ここから山谷を目指す。どこかに宿を見つけて一泊する。

写真は、2009年1月24日撮影。
Tag : コツ通り 
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三河島駅

高架下の鉄道駅として、これ以上シンプルなものはないというくらい単純な構造。実はこういうの、好きなの。エメラルドグリーンの鉄橋、上り線の直線的な構造と下り線の庇の対比も良い。この庇、もしかしたら、その下にある横断歩道のための雨よけなのだろうか。だとしたら、実に奥床しいんである。

三河島といえば、国鉄戦後五大事故と呼ばれる「三河島事故」を思い浮かべる人も多いのではないか。その事故現場は写真後方数百mに位置する。事故現場付近では、今でも幽霊が出るという伝説があるらしい。僕はまだお会いできてはいないのは、5月3日にはまだ遠いせいだろうか。事故の引きがねとなった列車はD51が牽引していた。そのD51364を見たいと思って検索したら、「Dead Tracks」というサイトに現物が掲載されていた。あるもんだねえ。

当たり前といえば当たり前のことだが、1962年(昭和37年)当時、常磐線には蒸気機関車が走っていたのだ。

駅前のシックな外装

こいつは、駅のすぐ北側のお店。正面から見ると、年代物のカフェなんだけど、脇から見ると年代物の昭和風店舗。こういうのは楽しい。実に正統派の再開発ではないかしらん。
Tag : 三河島 
    05:07 | Top
 
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三河島のY字路

尖った三角。鋭角。

三角の二辺の道は、写真の右手で一本になってる。だからY字路。そっち方向に進むとJR三河島駅に出る。Yの字の右斜め線の箇所には別の路地がひっついていて、その路地もすぐ先で変形T字型に折れ曲がってる。というわけで、ここだけ見てると全体がジグソーパズルのように見えてくる。

Y字路のといえばまちがいなく横尾忠則氏なのであって、wikipediaにも「2000年からの「暗夜光路」シリーズではY字路を集中して描いた」とある。そのY字路シリーズは、氏自身によるポストカードセットになっている。氏の描くY字路は、いくつものY字路を混合させ化合させた幻想のY字路なのだけど、「このY字路は行ったことがない」「ここはどこそこのY字路に違いない」といった違いを鮮明に感じてしまって、そこが面白い。Y字路というものは、どこまでも個別的具象的存在なのだ。

関連して、「ほぼ日」にY字路談義という横尾・タモリ・糸井の対談企画があって、なるほどなるほどと妙に納得したり感心することばかり、これも面白い。特にタモリの発言。

いわく、

Y字って、実に奇妙なんですよ。

妙な
「居心地の悪い気持ちよさ」
があるんだよね。

横尾さんの絵を見て、
自分でもY字路に行ってみるわけです。
それで、写真撮ったりなんかすると……
やっぱり、昼間はだめなんです。

そう。
余韻を残して別れてくっつうのがね、
またよくて……。

直行する道路っつうのは、
お互いに何の影響も及ぼさないでしょ?
わたしはこっち、あなたはそっち、と。


タモリのY字路は、田舎ではない、街のY字路なのだという。後ろに高層ビルなど写っちゃって、それで「キマル」んだという。「わたしはこっち、あなたはそっち」でない余韻があって、それが「居心地の悪い気持ちよさ」なのだという。

実に核心をついている、と、本当そう思う。
Tag : 三河島 
    17:17 | Top
 
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ベランダの鳥居

個人宅の庭や片隅に祠があったり、何かを奉ってるというのは、実はありきたりの風景。これまでのまちあるきで何度も目にしたし、今回もそれは同じ。銀座など地価の高い町では、建て替えや再開発で、それまであったお稲荷さんがビルの屋上に引っ越した、なんてのもよくある。

それでも、住宅の2階のベランダに鳥居がたってるのを見たのは初めて。
Tag : 三河島 
    04:59 | Top
 
03
 
気持ちの良い場所。

これも説明は不要だと思う。木造二階建てなのだけど、ほとんど屋根の高さにしつらえた物干台なので、意外と高さはある。

夏の日に寝ころがり、音楽を聴いていたい、そんな物干台。そのまま眠ってしまい、辺りが暗くなる。どこからドーンという音が聞こえてくる。満天の打上げ花火。ビールと枝豆を取りに行こうか。

物干台へ向かう階段の誇らしげなこと。
Tag : 三河島 
    05:28 | Top
 
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コリアン情報新聞。

三河島の町のいろんな場所で見かけた新聞スタンド。「韓国生活情報新聞」とは随分とベタなネーミング。至るところにあるということはそれなりに需要があるということであり、この類のフリーペーパーが広告掲載料で成り立っているのだから、それなりの供給もあるということになる。発行元を見ると新宿区大久保となっていたので、ニューカマーが対象なのだろう。書いてある内容はわからないけど、食う寝るところに住むところ、あとは格安航空券だろうと確信する。以前、池袋で見つけた中国語新聞がそんな内容だったし、流通形態こそ違え海外の日本人コミュニティの情報誌も似たような内容だったからだ。

今回、三河島を選んだ理由のひとつに、古くからの在日の町だというのがある。ちなみに、「連想くらうどβ」というネット上の関連キーワードを拾ってくる検査エンジンに「三河島」と入れてみると、以下のキーワードが並ぶ。

mikawashima.jpg

既に触れた三河島事故関連以外、ほとんどすべてが在日・コリアンに関連するワードということになる。では、そのような地域、三河島という町はどのようにして形成されたのだろうか。ここはひとつ、ねちっこく調べてみることにする。

まずは、三河島駅 - Wikipedia

江戸時代、三河島周辺は江戸城から鬼門の方角とされ、屠殺場などの地域とされ、それが戦後、精肉工場等の工場街となった。そこへ朝鮮人などが出稼ぎにきたことで、駅周辺は東京有数のコリア・タウンとなり、済州島出身者を中心としたコリア系住民が多く居住し、朝鮮学校や在日コリアン団体の支部が置かれている。


「鬼門→屠殺→精肉→朝鮮人→コリアンタウン」と、なんか一直線の流れ。マジ?、ちょいと薄っぺらくないかい?。上記の箇所を引用してるblogとして「Kai-Wai 散策: 三河島の古家」を見つけた。このblogは日頃購読してるひとつなのだけど、これ以上のことはわからなかった。

1.鬼門
鬼門については、「江戸の風水論」として様々なサイトが語っている。これが史実に即していたとしても、「三河島=鬼門」というのはどうなのだろう?。鬼門という概念が物理的な空間計画に影響を与えているとしたら、幕府に近い寺社の配置でり、奥州道・東海道といった鬼門・裏鬼門に位置する街道の安全保障に関してだろう。三河島はどちらも外れている。このことは、以前にも紹介した「大正15年の東京を地図で振り返りましょう」でも一目瞭然。例えば、奥州道の鬼門に位置してる小塚原刑場(今回歩く)はこの地図でも相変わらず主要幹線で都電も走ってるけれど、三河島は単なる郊外の村でしかない。だから、在日の町を鬼門から説明するのは直接的には無理なんじゃないかと思う。

2.屠殺
日本の屠場の歴史は静岡県下田市から始まる。ペリーが日本にやってきて「やい、牛肉食わせろ」と言って屠場ができた。ほぼ同じ頃、福沢諭吉が「もらった豚肉煮て食った」と自慢している。あとは横浜に牛鍋屋ができたりして、慶応3年(1867年)には江戸芝白金猿町に東京で最初の屠殺場が作られた。これも主な消費者は外国人だったらしい。その後の屠場については、「もつ煮 - Wikipedia」に次のように書いてある。

1869年、築地に公営屠場が開設され1877年(明治10年)までに芝七曲、神田護持院ヶ原、麻布本村町、三田小山町、千住、浅草千束町に、次々と屠場が開設され、需要の伸びを垣間見ることができる。しかしながら獣肉の処理に伴う腥臭の問題もあり、大量の水が確保できる条件と、その保存の必要性が隣り合わせであることから、前述「中川屋」の主人である中川屋嘉兵衛は函館からの天然氷を切り出して関東まで運ぶ商売も並行して行っていた。


Wikipediaには「昭和初期までの屠場の位置図」というのも載っていて、一見すると鬼門・裏鬼門のようだけど、むしろ、「物流に便利な交通・精肉に必要な大量の水の確保・消費地である人口集積地に近いこと」が立地要因ではないか。もちろん、臭いとかイメージの問題もあるから、そんな中で比較的つくりやすい場所につくっていったんだろう。例えば常磐線だが、上野から日光街道沿いに千住へまっすぐ抜けるのがどう見ても素直なのだが、実際は日暮里を経て急カーブを描いて千住へ向かっている。これは、鉄道敷設時に既に市街地だった入谷の町から、陸蒸気の黒煙は迷惑反対との声があがり、このような軌道になったと聞いたことがある。それでは移動しましょうということで移動した先が三河島だということで、何というか"VOID"として認識されていたのではないだろうか。今の眼で地図を読むと鉄道主体になってしまいがちだが、金杉通りがあって右手が下谷、左手が根岸、その根岸の裏に広大な空き地があるという地理感。

いずれにせよ、その「昭和初期までの屠場の位置図」にも三河島にマークがついてるので、確かに屠場はあったんだろう。これについては、「荒川ゆうネット > 特集 > 三河島コリアタウン Part1 食文化編 > 食材店 丸萬商店 社長 高 明功さん」も、

当時近くにあった精肉解体場に通う業者の勧めで肉を扱うようになった


と答えておられる。

3.精肉
屠場とその関連産業については、三河島の超有名焼肉店「山田屋(東京都荒川区)」を紹介するライター氏が、次のようにまとめている。

1883年(明治16年)、三河島に日本家畜市場株式会社・笠原工場が最初に設立。1887年(明治20年)には大野製革工場、1890年(明治23年)には現在の尾久変電所付近に屠殺場、関連事業の皮革工場、肥料工場、油脂工場が作られ、のちにカバン製作を中心とした皮革業が地場産業として三河島へ分散していく。昭和54年には三河島の皮革工場数は456軒にも激増した。


やはりキーワードの中心は、隅田川の「水」だ。隅田川沿いの工業立地が進み、その関連として手工業的なものが広がっていったようだ。

これは三河島ではないが、下町の古くからあるモツ焼き屋からこんな話を聞いたことがある。近くの食肉センターにアルバイトに行き、そのとき、売り物にならない臓物をもらってくることがよくあって、そういうところからモツ焼屋は始まったんだよ、って。モツやホルモンもそうした周辺産業のひとつだったのだろう。

4.朝鮮人

市・市場:在日朝鮮人市場―荒川区・三河島の例から―

いつ頃から、荒川区の三河島周辺に済州島の人々が住み始めたのかを知る資料は非常に少ないが、高内里出身者で組織されている在日本高内里親睦会の名簿によれば、1919年にこの村の出身者が荒川に来ていることが記されている。


市・市場:在日朝鮮人市場―荒川区・三河島の例から―

済州島の南部の村で生まれたKさんは7歳のときに両親に連れられて、1927年に大阪に来ている。(...、戦前は何度も大阪と済州島の間を行き来している)。...、三河島にいたオルケ(兄嫁)を頼って、上京したのが昭和24年のことであった。


済州島四・三事件 - Wikipedia

1948年に入ると、南朝鮮は北朝鮮抜きの単独選挙を行うことを決断し、島では選挙を前に激しい左右両派の対立がはじまった。その中で、単独選挙に反対する左派島民の武装蜂起の日付が4月3日である。...。治安部隊は潜伏している遊撃隊員と彼らに同調する島民の処刑・粛清を行った。...。1954年9月21日までに3万人が、完全に鎮圧された1957年までには8万人の島民が殺害されたとも推測される。...。事件前(1948年)に28万人いた島民は、1957年には3万人弱にまで激減したとされる。


山田屋(東京都荒川区)

1964年(昭和39年)にオープンしました。...。父は済州島からきた在日1世で、母は日本人。...。ですからわたしは日本国籍の日本人です。


日韓併合が明治43(1910)年だから、その頃から住み始め、韓国独立後も済州島四・三事件や朝鮮戦争、さらには日韓条約まで、実に長き歴史である。ちなみに、済州島出身一世の職業としては、「1950年の資料ではゴム加工やミシン加工が目立って多い」、二世・三世は「技術を生かしてビニールの加工業やカバンの縫製業などが見受けられる」のだそうだ。やはり、隅田川の「水」から大工場の立地が進み、そこから周辺産業として手工業的なもの、あるいは焼肉・ホルモン料理などに広がっていったように思える。もちろん、"VOID"だから定住しやすかったというのはあるだろう。

5.コリアンタウン
韓国で海外渡航が自由化されたのは1989年。写真のようなハングルの情報メディアの流通は、古き在日の町の風景なのではなく、海外渡航自由化がつくった風景なのではないか。

話はそれるが、台湾旅行中に韓国の大学生と相部屋になった。彼らは、「本当をは中国に行きたいのだけど、それをすると共産主義者と目をつけられ就職できなくなるので台湾を選んだ」と言っていた。なぜ、中国に行きたかったのかという問いには、「自分たちの文化の根幹があるのではないかと考えるから」であった。1990年代に入ってすぐの頃の話だ。

《追記 2009.4.18 参考になるWebsite》
こういう歴史もあるんですけどね - finalventの日記
Tag : 三河島 
    02:35 | Top
 
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三河島朝鮮マーケット1

最初に訪れたのは年の瀬もおしせまった12月30日の午後。そのためなのか、マーケットの中は買物客で超満員だった。キムチや肉を売ってるお店(後で、丸萬というお店だと知る)の前は人だかり。日本語はもちろん、ハングルらしき声も聞こえてた。すぐ横は作業場になっていて、作業場の天井からは牛さんや豚さんぶら下がっていた。

お土産にキムチ買って返ろうと思うのだけど、まちあるきの途中なのでまた今度。

三河島朝鮮マーケット2

その作業場の脇にはさらに通路が延びていて、マーケットの裏手の道で抜けられる。その暗いトンネルで営業してるお店もあった。裏手の道からはさっきとは別のトンネルを通って、またこのマーケットに戻ってこられるようになっている。東南アジアの市場はだいたいこんなふうで、それが面白くて、ぐるぐると回ってみた。

そこは丸萬の作業場を兼ねていて、ちょっとした洗い場とその周りにはキムチをつける樽やらなんやらが並べてある。その人がすれ違うのがやっとという路地状のトンネルの中を、真っ赤なキムチで一杯になった樽を抱えて、高校生くらいの男女二人が何度も往復している。

「バイト?」って声をかけたら、「孫!」という声が返ってきた。

ちょっといいなと思ってしまったよ。

《参考になるWebsite》
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