東京バーベキュー ~歩くひと、佇むひと~

 
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 すごく奇麗なプラットホームの駅というのが最初の記憶。友達の親戚の家にみんなで遊びに行くことになって電車に乗ったのだけど、この駅からどう行けばいいのかわからなくなり迷ったのだった。たぶん中学生の頃。大抵の男の子が鉄道に夢中になるように、僕も線路や駅を眺めるのが大好きだった。それで記憶に残ってるんだと思う。

 古いJRの駅ではプラットホームの屋根構造にレールを使っていることがよくある。この駅舎もそのひとつ。でも、この駅舎の鉄はちょっと特別なのだ。僕の記憶も、鉄の力強さではなく、繊細な鉄が宙を舞ってて、陽の光を浴びた鉄がつくる柔らかな影というもの。そんなこと言ってるサイトはあるのか検索してみたら、あったよ。
life: JR浅草橋

この駅の鉄骨が描くカーブは特別エレガントだと思う。

 しかしあれだ、人間思いつかないことは何一つ調べようがないのだが、一旦思いつけばいくらでも調べることができる。そして、ほとんど全てのことは既にWEBに存在しているんだね。コメント欄で紹介されてた古いレールのページを気まぐれでクリックしたのだけれど、そこも凄いなあ。レールに残された刻印。こういうのほんと面白いよ。

 と、ここまで書いてURL見てもいちどびっくり。たぶん、lovethelifeって、まちあるきの同行者C氏の紹介でお会いしてるんじゃないかしら?Bいや、会ってないかもしれない。それでも、C氏からlovethelifeという言葉を耳にして面白い人たちだなあと思った、それは確かな記憶だ。

 さて、浅草橋駅の二つ目の思い出は1985年のこと。
+712*** | 光画 | 夏草の線路 | 国鉄 | 総武線浅草橋駅放火事件

警官が現場に到着すると白いワゴン車が止まっていたので、職務質問を行うと応じなかった。ワゴン車の中を見ると鉄パイプなどがあったのでゲリラと考え応援を頼んだ。その間、背広姿の70名程の人達に警官は囲まれ、武装したゲリラ達と衝突した。

 当時、電車通学してたのでストで休学だと。で、ニュース見たらほんと騒乱という様子だった。数日後、たまたま浅草橋駅を通りかかった。陽の光の中の繊細なレールの屋根は、炎でグニャグニャに溶け、いや実際溶けたわけではないだろうけど、黒い煤で焼け出された鉄の残骸に成り果てていた。いま振り返ると、オウム、阪神淡路大震災以上に、人生観とか社会観に影響を与えた事件であった。繊細な鉄は今も繊細なままなのか、まちあるきの際に確認したい、というか、安堵したい。

 その後、友人の親戚宅にはどうにか辿り着くことができた。小銭を出し合ってみんなでタクシーに乗って行ったのだった。すでに夕方になってしまい、NHKの相撲中継を観て、すぐに家に帰った。

以上、思い出。

 さて今回のまちあるきです。王子王子から町屋と隅田川を下ってきたので、当然、次は台東区辺りということになるわけですが、これはかなり難しい。何といっても浅草という最大の関門があるわけです。見どころ満載の浅草、ここだけでも一日じゃ終わらないのは明々白々。さて、どうするかぁ~。とはいえ、すでに決行日は伝えてしまったわけで、窮余の策としてこんなこと考えたわけです。以下、メールでのお誘い文。

《見るもの、見たいもの》

 見どころ的には、たくさん、ありすぎて書きようがない。ネット巡回しても、情報ありすぎ。思うに浅草自体を巡ってもレトロな観光地という底なし沼に沈没するのが目に見えてるわけで、それならいっそ、浅草の周辺というテーマで見て回ろうかと。それで、浅草はさっさと通り過ぎてしまう。題して、「浅草、都市の終わりと始まり」です。実は面白いものってのは、、、これもうまく書けないわけで。なにとそ平に御容赦のほどを。

 一応、こういうことを考えた理由があるにはあるわけで、それはGoogleMapの航空写真...

《TKO_BBQ vol.03 のエントリ一覧》
00.(予告編)浅草橋駅
01.奥州道に東京の底力を見る。
02.南千住駅前の憂鬱。
03.千住回向院、原っぱの中の石の場所。
04.小塚原刑場跡、風鈴の音が聞こえる。
05.三ノ輪、内装屋さんの看板建築。
06.浄閑寺でほっとする。
07.千束稲荷神社、狐と空。
08.竜泉のまどろみ。
09.一葉記念館の中の明治。
10.暑かった吉原の角に立つ。
11.いろは会のアーケード。
12.廿世紀銭湯は看板建築なのか?
13.日本堤の看板建築。
14.山谷はカオサンの夢を見るか。
15.橋場の源内。
16.白髭橋から青テント。
17.途中で見つけた家。
18.今戸神社の絵馬。
19.今戸橋。とか
20.待乳山聖天の大根。
21.浅草、何も書けなくなる。
22.ひさご通り付近にて。
23.ホッピー横丁。
24.地下鉄の壁画。
25.焼け残った町、夕暮。
26.おかず横丁の夏祭り。
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Tag : 浅草橋 
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《とにかくGoogleMapを覗いてみた》

台東区のイメージ 航空写真をね、そしたら、左の図みたいに見えたわけです。台東区の下の端っこから、ワーッってすごい勢いで何かが飛び出してて、ちょうど真ん中辺りで、ボッっと広がって四方に広がってく。何がワーッでボッなんだか、さっぱりわけわからないんだけど、とにかく「ワーッでボッ!」、これが台東区。で、ちょうど「ボッ!」っていうのが浅草になってン。その通り道が奥州街道(千住街道)。そっから、いろいろWEBを読んで、まちあるきのイメージが出来てきた。

 以下は、そのイメージ。

 浅草橋駅のすぐ南側を神田川が流れていて、この神田川、四谷、市ヶ谷あたりから秋葉原の万世橋を抜け、柳橋で隅田川にそそぎます。柳橋のたもとには料亭がちらほら、辺りは趣のある近代建築が残ってます。でもって、水面には船宿の舟が。かつて吉原に向かう客は、ここから舟に乗って、隅田川をつたって、山谷堀まで行くってのが定番コースでありました。粋な水辺空間。それが柳橋。

 さて、柳橋の向こう側に両国橋が見えてきて、両国橋の橋詰広場が両国広小路になります。橋詰ったって、その大きさが半端じゃない、縦100m・奥行き300mは下らない。前回、空中自転車で遊んだ、あらかわ遊園と同じくらいの広さがある。そこでは芝居小屋のノボリがひしめき、様々な出店が軒を並べ、大道芸人が芸を競ってる。

 それが、江戸の盛り場ということになります。この広小路から3つの橋に出られて、隅田川に架かるのが両国橋、神田川にかかるのが柳橋と浅草橋。浅草橋はもっとも古くからある橋で、ここに浅草門という門がつくってあった。神田川は江戸の外堀で、最初のころは、江戸市街地の境界だったんです。だから、ここから先は、北も東も江戸の外だった。

 江戸城正面の常磐門から、当時、もっとも格式の高い本町通りが始まって、通りを小一時間歩くと、そこは江戸のどん詰まり。目の前には川が流れてて、江戸の空が見通せる。両国広小路にはそういうどん詰まりまでやってきたという開放感が感じらるわけです。

 さて、明暦3年というから江戸幕府が始まって50年、江戸を壊滅させる火事がありました。明暦の大火、通称、振り袖火事といいます。お役人、牢獄の囚人を一時開放するなどそれなりに頑張ったんですが、あいにく浅草門の門衛に連絡が行かなかった。縦割り行政の弊害ってやつです。それで、逃げ場を失った町人やら囚人が、ここで死んじゃった。その数、2万人とも言われてます。この頃の江戸の人口は大きく見積もっても50万人を超えない。明暦の大火全体での犠牲者は10万人くらいと言われてるので、浅草橋の業務上過失致死事件が如何に大きな事件が分かろうと言うものです。

 で、この火事を教訓に幕府が市街地再開発事業に取り組むわけです。隅田川に両国橋を架け、橋のたもとに火除け地をつくる。つまり、両国広小路は、防災オープンスペースなわけ。それでも、芝居小屋とかああいうのは、仮設建築ということで何となくなし崩し的に許可されていきます。このなし崩し的って言うのが、とても面白いわけです。

 どん詰まりのなし崩しってのが、「場」繁栄の最大の秘密ではないかしらん。一方、神田川の土手には、柳がたくさん植えられていた。だから、柳原土手と呼ばれてます。この土手、昼間は土手沿いの古着屋さんが店を出して、たいそう賑わった。けれども、日が暮れると、人通りのない寂しい、恐い場所だったらしいです。川沿いの柳の木のもとに出現するのが、日本の正しい幽霊のマナーなわけで、柳原土手もマナーのルーツかも知れません。ちなみに、当時の古着屋さんってのが、今の浅草橋界隈の繊維問屋の隆盛につながってます。

 何はともあれ、江戸がどんどんでかくなってきたときに、そのエネルギーが浅草門から外に向かってあふれ出てきて、そのエネルギーが浅草あたりを被うのが江戸時代。あふれ出て来るものには、自ら進んであふれ出てきたものもあるし、幕府の政策として、都市の終わりに追い立てられていったものもあるわけです。大抵は、その二つが入り交じってる。で、その入り交じった部分が文化なのであって、その文化は現代まで尾を引いてるのか、消え去ったのか?。その辺を、都市の終わり側から巡ってみようというのが、今回のまちあるきの壮大なもくろみであります。
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01南千住駅前_00

約束の時間を30分過ぎたが誰も来ない。じれながら改札前に立っていると、何度も道を尋ねられた。いわく、「○○旅館はどっちですか」「ホテル○○に行きたいのですが」。俺、地元の人間じゃないから....、とは答えない。というか、そもそも質問自体、日本語ではなかった。英語かスペイン語か、ほとんどがちょっと歳のいったお兄さん。長期滞在型のバックパッカーと思われる。なるほど、そういうことかと思いつつ、駅の周りをぶらぶらしてみる。

01南千住駅前_01

営業をやめてしまった商店だろうか、軒先の庇を兼ねたディスプレーの残骸。

01南千住駅前_02

線路脇には安食堂。貝汁定食5US$というのは、バックパッカーにはどう映るんだろうか。バックパッカーの経済感覚は、通貨の交換レートよりも、標準的な一回の食事を単位にして考えるところがあるのだ。宿代は食事何食分、ビールは食事何食分、バス代は...。それで、何となくこの国の物価は高いとか、もっと地方に移動しようとか、などなど。

01南千住駅前_03

昔大きな道路は、道路の幅を通称に使われることがよくあった。十三間通りとかそういうふうに。たいてい、アーケードが付いた商店街になっていた。「コツ通り」には、そのころの雰囲気がそのまま残ってる。コツは小塚原の「コツ」らしいのだけど、すぐ近くの小塚原刑場の骨(コツ)がコツコツ乾いた音を立てるから「コツ通り」なのだという説があるらしい。

それとは別に、もうひとつ、「コツで飲む」という言い方がある。吉原でも浅草でもなく、一つ先の千住宿場町でもなく、その小塚原で呑み遊ぶということ。ここらへんが事実上、江戸の入口に当たるのだけど、その入口から江戸に入らず(入れず)、狭間のような場所で呑み遊ぶ。呑み遊ぶ街道には罪人の首が晒されている。と、こちらは志ん生の噺。

01南千住駅前_04

そうした妙な湿気を感じる由来にも関わらず、目の前のコツ通りがやけに暑く乾いてるのは、再開発ビルの工事のだだっ広いスキマのせいだろう。

01南千住駅前_05

それに加えて、常磐線の無骨すぎる構造物。

01南千住駅前_06

構造物の先は、これまたアウトオブスケールの歩道橋になっていて、隅田川貨物駅の広大な敷地が見える。赤錆が浮いてる線路もある。赤錆のすっぱい匂いを感じられるかもしれないと、歩道橋でじっと佇んでみたりする。目の前には中華料理屋。この風景はわるくない。

01南千住駅前_07

歩道橋の向こうの交差点は涙橋。
Tag : コツ通り 
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02千住回向院_00

このような風景が見慣れずに戸惑う人も多いけど、東京、それも23区のうちでも周辺の区部で生まれ育った者は、さほど奇異には感じないのではないか。もともと原っぱや田畑の中に墓地があったのが、東京の急成長とともに辺り一面がモルタルアパートや建売住宅で埋まっていった、そういうこと。数日で人は慣れてしまう。以前、谷中に家を探してて、地元の不動産屋さんに紹介してもらった物件でも、窓からはことごとく墓石が拝めた。「当分、開発はないから、日当りも風通しも保証します」ってなもんだ。

ここ、千住(小塚原)回向院は、小塚原刑場の刑死者を弔うため、両国回向院の別院として1667年(寛文7年)に創建された。それまで浅草にあった刑場がここに移転してきたのは1651年(慶安4年)のことだから、わずか6年後ということになる。江戸っ子はなかなか人情味あふれるのだ。

02千住回向院_02

境内はとてもキリっとした佇まい。クールでさえある。なんでだろうと歩き回りながら、一寸考えてみる。雑草ひとつ無い、辺り一面至るところ、石が張り巡らされてる。きっとそのせいだ。熱い空気とクールな床。宗教こそ違うが、クアラルンプールのモスクもそうだったなどと場違いな連想をしてしまったのは、気が遠くなるほどの暑さのせいに違いない。

ここには、吉田松陰の墓石が残っていたり、杉田玄白らが刑死者の腑分けに立ち合った場所であったり、「吉展ちゃん誘拐殺人事件」供養のための地蔵尊があったりと興味は尽きないのだけど、まもなくお盆という時節柄、ご先祖様の供養にやってくる御家族がひっきりなしなので、お邪魔しては申し訳ないということで、またの機会とする。

02千住回向院_01

それにしても、この風景はなんだんだろう。

団地と墓地は、本質は同じように見えてくるし、
団地という形式による何かの隠蔽工作にも思えてくる。
合わせ鏡による隠蔽工作?
Tag : 千住回向院 
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03延命寺_04

このような景色を目にしたとき、どこか空間が歪んでいると感じるのは僕だけではないだろう。墓にかぶさる鉄の構造物、それをもういちど周到に覆うコンクリートの壁。

03延命寺_01

上野駅から常磐線に乗って南千住に着く直前、その景色は見ることができる。残地のように残された墓地と地蔵は、ほんの一瞬だけ車窓をかすめる。

03延命寺_02

小塚原回向院を出てすぐ右側は鉄道高架になっていて、その高架をくぐり抜けるように進むと、また、高架が現われる。今進んできた道路にも巨大な歩道橋がかけられている。とにかくここは、巨大な構造物が四方八方をふさいでいる。投げやりなコンクリートブロックにこの場所の名称は刻まれている。

03延命寺_00

その土木構造物群を切り裂くように、路地状の細い空間から空の光が入り込んでいる。日の光が入ってこれる隙間は唯一ここだけ。

03延命寺_03

小塚原刑場

刑場の広さは間口60間 (108m)、奥行30間余 (54m) ほど。刑場跡は、現在の南千住駅のすぐ西側、常磐線と日比谷線の線路に挟まれる場所にある延命寺内に位置する。刑場当時の資料は現在公開されていない。


遺体は浅く穴を掘って埋めたので、「夏になると周囲に臭気が充満し、野犬やイタチの類が食い散らかして地獄のような有様」だったという。「浅く穴を掘って埋める」とは「棄てる」ということの別の表現であろう。200万人以上の罪人の刑が執行されたこの場所が廃止されたのは年号が明治に変わってからのことである。廃止の根拠は、西欧列強と対等であるための人権基準なのだという。廃止してどうなったかといえば、刑場を線路敷きが分断し、ありったけの土木構造物で塗り込めたということであろう。

03延命寺_05

電車の轟音が耳をつんざく。
轟音のスキマの一瞬の静寂。
風鈴が鳴る。
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04内装屋さんの看板建築_00

浄閑寺の向かいにある内装屋さん。シックな三色の看板建築。現物は写真より何倍も綺麗。

04内装屋さんの看板建築_01

南千住から三ノ輪までは鉄道沿いに歩いた。夏休みだからか、線路敷きで辺りと隔てられているからか、とても静か。
Tag : 三ノ輪 
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05浄閑寺_02

小夜衣供養地蔵尊。浄閑寺の山門に立っている。悪い部分を撫でると良くなるという言い伝えがあるとのこと。そんなお地蔵さんに、お参りの花が添えてある。ほっとする。

05浄閑寺_01

浄閑寺 - Wikipedia

東京都荒川区南千住にある浄土宗の寺院。吉原遊郭の近くにあり、遊女の遺体の「投げ込み寺」としても知られる。旧地名の「三ノ輪」から「三ノ輪の浄閑寺」と称されることも多い。
1655年(明暦元年)に創建され、吉原遊郭の誕生(1657年)よりも2年早い。


下の方には、「浄閑寺が投げ込み寺と呼ばれるようになったのは安政の大地震(1855年)で大量の遊女が死亡した際にこの寺に投げ込んで葬ったことによる」とある。つまり、投げ込み寺と呼ばれたのは創建200年も経ってから、もう幕末の世になってからのこと。しかも、地震という非常災害のときの出来事ということ。ぶっちゃけた話、新吉原が栄えていた江戸時代には「投げ込み」という風には捉えられていなかったとも言えるわけで、この辺、悲惨一辺倒のイメージに少々違和感を感じ始める。いや、遊女だから悲惨に違いないというのは認めるんだけど。

いろんなサイト見るとたいてい、遊女の平均寿命は22歳と書かれてて、それもよくわからないことのひとつ。概ね20代後半には結婚したり田舎に帰ったり、そうでなければ、遣り手ばばぁ、つまり事務系管理職に従事するというのが自分の持ってるイメージなんだけど、どうなのだろう?

浄閑寺には、新吉原総霊塔とかいろいろるので、ゆっくり見て回りたい。総霊塔は、アラーキーが子供のとき、ここでよく遊んだらしい。アラーキーのご実家はここからすぐのところで、下駄屋をやっていた。その遊びだけど、総霊塔によじ登ったとか、骨だか灰だかを書き出して遊んだとか、そんなことやってたらしい。不届きものとか不道徳とかそういうことじゃなく、なんていうか、見ず知らぬ人の死が具体的な形になって身近にあるという、そういうのが大事なのかもなと最近思っていて、それで一度見て見たいなということ。

いや、そう書いてしまうと違うんであって、別のことを書こう。

昔、カンボジアに遊びに行ったことがある。UNTACがそろそろ引き上げようかという頃のこと。プノンペンの町は、国連バブルがはじけつつあって、町全体がどうにも気の抜けたような気だるい感じになっていた。毎日、夕方にはスコールがやってきて、そうなると道路が川のようになってしまい、泥水に町が埋まってしまう。スコールが去ったとき、プノンペンはゴミ溜めのような町になってしまうんだけど、そこに太陽がさしてくるととても綺麗だった。雲がものすごいスピードで流れて行って、強烈な日差しと陰の部分がつくるモザイクが、コロニアルな建物やらゴミ溜めの泥とかに反射しながら走り抜けてく。

ある日、キリングフィールドまで行ってみた。あの映画に出てくるキリングフィールド。プノンペンからバイクタクシーで20分くらいのところにある。でこぼこした赤土の地面が広がってて、スニーカーで赤土をほじると布の切れ端が出てくる。それから固くて乾いたモノが出てくる。衣服と骨。簡易なつくりのパゴダがあって、パゴダというより櫓といったほうがよいようなつくりなんだけど、その一段一段にびっしりと頭蓋骨が並んでる。

骨とか灰とかを思い出したから、それだけ。

05浄閑寺_00

これは山門の写真。

お盆の時期であり、お墓参りの御家族がひっきりなし。邪魔になってしまうのでそそくさと引き上げる。また、来ようと思ってる。

《参考になるWebsite》
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06千束稲荷神社_00

このお稲荷さんは、祭礼のとき、赤い装束を身にまとう。のぼりやら何やらで、辺り一面真っ赤に染まる景色はさぞかし、「映えるねえ!」だろう。

06千束稲荷神社_01

樋口一葉の小説の舞台でもある竜泉だけに、いろんな人がWebで取り上げている。「映えるねえ!」は、このSiteの写真を見て想像したこと。樋口一葉「たけくらべ」は、明治26~7年の千束稲荷神社祭礼を背景に物語はすすんでいく。樋口一葉の文章は、半分昔の文体が混じっていてわかりづらいようだけど、一旦入り込んでしまうと、ちゃきちゃきした歯切れの良いリズムが気持ちよい。

「たけくらべ」になぜこうまで魅惑されるのだろうと考えるに、吉原ということは別にして、千束稲荷神社で遊ぶ子供たちにデジャブを見るんだと思う。行って帰ってくる、その境目に結び目のように子供の遊びがあるというようなこと。僕は、たけくらべとおそ松くんを同じ目線で触れている。子供当時は、近所の仲間・意地の張り合いの相手として読み、大人になってからのそれは「我が町、僕を呼ぶ声」になる。

06千束稲荷神社_02

三ノ輪からこちら側と向こう側では風景ががらっと違うのだな。こちら側はもうどこまで行っても都心の表通り。空の見え方が違ってくるのだ。
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