東京バーベキュー ~歩くひと、佇むひと~
橋の下につくられた公園に残された石組み。その隣には区が設置した案内版があって、国鉄と隣接する工場・軍施設をつなぐ線路が網の目のように張り巡らされてるいたことが書かれている。この石組みもそうした線路を支えていた。そこに隣接して存在したスクォッターについてはWEBで読んだ。別のところでは、当時の線路脇の写真も見た。この辺りは、陸軍造兵廠をつなぐ小型電車が通っていた。電車は、ちんちん山と呼ばれる盛り土を走る。ちんちん電車が通るから、ちんちん山。ちんちん山にあった南橋トンネルの石組みは、高架下の児童遊園モニュメントとして残っている。ちんちん山には、20件近くのバラックの長屋があったという。そういうのって、昔はそんなに珍しいことではなかったように思う。少なくとも超現実的な風景ではなかった。たかだか数十年前の話だ。
わたしも、子供の頃、お互い徒党を組んで集団でけんかしたことがあるし、徒党を組まないときは、お互いの家に遊びに行ったこともある。学校の帰りに顔を合わせると、それが決闘めいたことに発展することもあれば、マンガや野球の話をして、じゃれあいながら横断歩道を渡ることもある。そういうのをうまく伝えるのは難しい。
この橋のことは計画が変更される経緯も含めWEBで知ったのだけれど、いくら読んでも橋の構造を理解できなかった。橋の下に見える灯りがついてる部分がトンネル。トンネルは上野台地の地下を貫通し、区役所通りのところで地上に出る。その脇の歩道橋のように見えるのは、上野台地の斜面に沿って設けられた階段。台地に側からこの道路に沿ってこの写真を撮っている場所まで来ようとしたら、今のようにトンネルをつくるかしか手はない。元の計画ではJRとがけ線に挟まれた「陸の孤島」。
消防自動車が来るのにも時間がかかってしまう。都市計画道路を変更して南橋大橋をつくった。
上野台地と京浜東北線に挟まれた土地なので、もしもこのトンネルがなかったら相当に不便であることは間違いない。車の場合、王子駅から王子稲荷の前を通る道路か、写真右手、東十条の方からアクセスするかしか方法はないのではない。崖線を降りてくる急な坂もあるにあはあるが、救急車や消防車は難しいのだ。とはいえ、今は土曜日の夕方、トンネルを通る車もない。


南橋大橋から名主の滝公園方面を眺めてみる。写真右手が上野台地の高台。高台の緑が名主の滝公園の緑になる。左手の線路は京浜東北線で、隣を走ってるのが新幹線の高架。奥に見える高層建築は田端駅前のビルか。線路の存在がこの場所を谷底のように感じさせる。視覚的にもそうだし、台地の崖面と広い鉄道敷きが道路を通させないという機能上のこともある。
日暮里辺りだと上野台地の崖面と鉄道がぴったり隣接している。それが王子飛鳥山で崖面と鉄道の間に小さな鋭い亀裂が生じ、この辺りにくると亀裂が大きくなって、谷底のような感覚を覚えるということ。周辺から取り残されたようでもあるが、信じられないくらいゆっくりと自転車が通っていったりして嫌いじゃない。
ここに限ったことではないけど、橋の上から見る夕焼けはよい。大きな川にかかる大きな橋もよいし、まちなかの歩道橋からの夕焼けでもよい。靴でなくサンダル履きだったりするとなおのことよい。
これは橋から都心の反対側を眺めた所。こっちの方角に夕日が見られるというのは、予期してなかったからちょっと驚き。
《まちあるきの参考にしたWEBSITE》
北区・「60年目の風景」残された赤煉瓦建物―稲荷公園ものがたりがトンネル建設の経緯に詳しい。当時の写真は、東京些末観光、東京軍都畫報、謎のトンネルなど。
それから電脳六義園通信所。
バラックの家並みを通り過ぎると、まず引き込み線を跨ぐ短い鉄橋があり、続いて東北線などを跨ぐ鉄橋が残っていて、私たちはよくこの鉄橋で遊んだ。鉄橋といってもレールは撤去されていたので骨組みのみ、細い鉄骨を跨いで這って進まなければならないような危険な場所だった。下を列車が通るとゆらゆら揺れるので鉄骨に必至でしがみ付いていなければならなかった。
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