拡大地図を表示
王子、王子から町屋と隅田川を下ってきたので、当然、次は台東区辺りということになるわけですが、これはかなり難しい。何といっても浅草という最大の関門があるわけです。見どころ満載の浅草、ここだけでも一日じゃ終わらないのは明々白々。さて、どうするかぁ〜。とはいえ、すでに決行日は伝えてしまったわけで、窮余の策としてこんなこと考えたわけです。以下、メールでのお誘い文。
《見るもの、見たいもの》
見どころ的には、たくさん、ありすぎて書きようがない。ネット巡回しても、情報ありすぎ。思うに浅草自体を巡ってもレトロな観光地という底なし沼に沈没するのが目に見えてるわけで、それならいっそ、浅草の周辺というテーマで見て回ろうかと。それで、浅草はさっさと通り過ぎてしまう。題して、「浅草、都市の終わりと始まり」です。実は面白いものってのは、、、これもうまく書けないわけで。なにとそ平に御容赦のほどを。
一応、こういうことを考えた理由があるにはあるわけで、それはGoogleMapの航空写真。
《とにかくGoogleMapを覗いてみた》
航空写真をね、そしたら、左の図みたいに見えたわけです。台東区の下の端っこから、ワーッってすごい勢いで何かが飛び出してて、ちょうど真ん中辺りで、ボッっと広がって四方に広がってく。何がワーッでボッなんだか、さっぱりわけわからないんだけど、とにかく「ワーッでボッ!」、これが台東区。で、ちょうど「ボッ!」っていうのが浅草になってン。その通り道が奥州街道(千住街道)。そっから、いろいろWEBを読んで、まちあるきのイメージが出来てきた。
以下は、そのイメージ。
浅草橋駅のすぐ南側を神田川が流れていて、この神田川、四谷、市ヶ谷あたりから秋葉原の万世橋を抜け、柳橋で隅田川にそそぎます。柳橋のたもとには料亭がちらほら、辺りは趣のある近代建築が残ってます。でもって、水面には船宿の舟が。かつて吉原に向かう客は、ここから舟に乗って、隅田川をつたって、山谷堀まで行くってのが定番コースでありました。粋な水辺空間。それが柳橋。
さて、柳橋の向こう側に両国橋が見えてきて、両国橋の橋詰広場が両国広小路になります。橋詰ったって、その大きさが半端じゃない、縦100m・奥行き300mは下らない。前回、空中自転車で遊んだ、あらかわ遊園と同じくらいの広さがある。そこでは芝居小屋のノボリがひしめき、様々な出店が軒を並べ、大道芸人が芸を競ってる。
それが、江戸の盛り場ということになります。この広小路から3つの橋に出られて、隅田川に架かるのが両国橋、神田川にかかるのが柳橋と浅草橋。浅草橋はもっとも古くからある橋で、ここに浅草門という門がつくってあった。神田川は江戸の外堀で、最初のころは、江戸市街地の境界だったんです。だから、ここから先は、北も東も江戸の外だった。
江戸城正面の常磐門から、当時、もっとも格式の高い本町通りが始まって、通りを小一時間歩くと、そこは江戸のどん詰まり。目の前には川が流れてて、江戸の空が見通せる。両国広小路にはそういうどん詰まりまでやってきたという開放感が感じらるわけです。
さて、明暦3年というから江戸幕府が始まって50年、江戸を壊滅させる火事がありました。明暦の大火、通称、振り袖火事といいます。お役人、牢獄の囚人を一時開放するなどそれなりに頑張ったんですが、あいにく浅草門の門衛に連絡が行かなかった。縦割り行政の弊害ってやつです。それで、逃げ場を失った町人やら囚人が、ここで死んじゃった。その数、2万人とも言われてます。この頃の江戸の人口は大きく見積もっても50万人を超えない。明暦の大火全体での犠牲者は10万人くらいと言われてるので、浅草橋の業務上過失致死事件が如何に大きな事件が分かろうと言うものです。
で、この火事を教訓に幕府が市街地再開発事業に取り組むわけです。隅田川に両国橋を架け、橋のたもとに火除け地をつくる。つまり、両国広小路は、防災オープンスペースなわけ。それでも、芝居小屋とかああいうのは、仮設建築ということで何となくなし崩し的に許可されていきます。このなし崩し的って言うのが、とても面白いわけです。
どん詰まりのなし崩しってのが、「場」繁栄の最大の秘密ではないかしらん。一方、神田川の土手には、柳がたくさん植えられていた。だから、柳原土手と呼ばれてます。この土手、昼間は土手沿いの古着屋さんが店を出して、たいそう賑わった。けれども、日が暮れると、人通りのない寂しい、恐い場所だったらしいです。川沿いの柳の木のもとに出現するのが、日本の正しい幽霊のマナーなわけで、柳原土手もマナーのルーツかも知れません。ちなみに、当時の古着屋さんってのが、今の浅草橋界隈の繊維問屋の隆盛につながってます。
何はともあれ、江戸がどんどんでかくなってきたときに、そのエネルギーが浅草門から外に向かってあふれ出てきて、そのエネルギーが浅草あたりを被うのが江戸時代。あふれ出て来るものには、自ら進んであふれ出てきたものもあるし、幕府の政策として、都市の終わりに追い立てられていったものもあるわけです。大抵は、その二つが入り交じってる。で、その入り交じった部分が文化なのであって、その文化は現代まで尾を引いてるのか、消え去ったのか?。その辺を、都市の終わり側から巡ってみようというのが、今回のまちあるきの壮大なもくろみであります。
《TKO_BBQ vol.03 のエントリ一覧》
01.奥州道に東京の底力を見る。
02.南千住駅前の憂鬱。
03.千住回向院、原っぱの中の石の場所。
04.小塚原刑場跡、風鈴の音が聞こえる。
05.三ノ輪、内装屋さんの看板建築。
06.浄閑寺でほっとする。
07.千束稲荷神社、狐と空。
08.竜泉のまどろみ。
09.一葉記念館の中の明治。
10.暑かった吉原の角に立つ。
11.いろは会のアーケード。
12.廿世紀銭湯は看板建築なのか?
13.日本堤の看板建築。
14.山谷はカオサンの夢を見るか。
15.橋場の源内。
16.白髭橋から青テント。
17.途中で見つけた家。
18.今戸神社の絵馬。
19.今戸橋。とか
20.待乳山聖天の大根。
21.浅草、何も書けなくなる。
22.ひさご通り付近にて。
23.ホッピー横丁。
24.地下鉄の壁画。
25.焼け残った町、夕暮。
26.おかず横丁の夏祭り。
奥州道に東京の底力を見る。【台東:千住〜浅草橋】 | trackback(0) | comment(0) |
<<南千住駅前の憂鬱。 | TOP | 浅草橋駅>>
comment
trackback
trackback_url
http://tkobbq.blog75.fc2.com/tb.php/36-a6e7f184
| TOP |

