踏切りの音につられて、ふらふらと音の方向に歩いていく。王子と東十条の中間地点くらい。これは高崎線かな。それにしても、でっかい踏切りだ。ここはいろんな路線が走ってるので、朝夕の時間帯は大変だろうね。もしかして、開かずの踏切り?
今は5月の日曜の昼下がりで、行き交う電車はさほど多くないけど、それでも、長い時間、踏切りが降りてる。
僕らは、決まった目的もない、ふらふらまちあるきだから、ぼけーっと踏切り越しに電車をみてた。
電車が通り過ぎて、踏切りの向こうが見渡せるようになった。長い踏切りがあって、人も車も長い時間待たされるんだろう。そういう踏切りの真向かいにお店が2軒建ってる。それって、ちょっと懐かしい思いのする景色であるな。
そのお店の背景にこんもりと緑が写っていて、あの辺りは急な上りになっていて、その坂を登りきったところは上野台地だったと思う。前回は、台地の上をずっと歩いてきて、三平坂の急斜面を降りてきた。それで、崖下の町の盆地のような町に思えて、ずいぶん閉ざされた一角だなあと感じたのだけど、こちらから眺めると別の印象。もちろん、長い長い開かずの踏切りだろうから、人の動きということでは分断されてるんだけど、視覚的には閉ざされたという言葉とはちょっと違う。
このだだっ広い空を見てると、「ああ、国鉄だなあ」と思ってしまう。私鉄沿線の空はこういう空じゃない。あまりに広すぎて、ぽっかりしていて、虚ろな気持ちになってしまう。(もちろん、ここでいう「虚ろ」はネガティブな意味で使ってるわけじゃない。)
この「ぽっかり」は、前回のまちあるきでは、感じることの出来なかった感覚。
例えば南橋大橋を歩いて渡ると、眼下にこの線路群が見下ろせて、遠くの高層マンションが見通せて、日没の時間帯だと群青から夕日色に変化する空に満月と宵の明星が光ってる。それは、抜群に見晴しの良い場所なのだけど、「ぽっかり」というのとは大分違う。「ぽっかり」というのはもっと地べたにひっついた特有の感覚じゃないかしらん。町はどこもぽっかりしていなくて、その場所だけ、何かの拍子で「ぽっかり」空いてしまったというような感覚。「裂け目」みたいなもの。
「見晴しのよい場所、夜景の奇麗な場所を教えてくださいな」と訊ねるのと、「裂け目が出来てて、その裂け目がぽっかりしてる場所を教えてくださいな」って訊ねるのでは、まったく別の答えが返って来るんじゃないだろうか。
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