東京バーベキュー ~歩くひと、佇むひと~

 
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 『こち亀』の作者秋本治がその緻密な扉絵に登場する町への思い入れを語る本。左ページに歴代の扉絵、右ページが関連するエピソードとなっていて、さながら、両さんと歩く下町散歩案内という趣向。
 「亀有公園前派出所」自体はフィクションであっても、『コチ亀』の扉絵に描かれる町がやたら緻密でリアルであることは、多少なりとも亀有の町を知っている者には常識。その扉絵について、秋本治は、最初は『取材ののときに撮った写真なんかで、いいものがあればただ扉絵にする』程度の者だったのが、あるシリーズをきっかけに『両さんのいる風景』として『自覚して下町を描こう』と思い至ったのだそうだ。そのことによって、両さんの目と秋本治の目が重なり合うことになった。
 自分は、本来の下町・山の手の一回り外周の町、かつて郊外だった町の人による"郊外本"として読んだ。
ザリガニと鉄塔

 秋本の照れ隠しのエクスキューズから本書は始まる。

『僕たち住民は葛飾区、足立区、荒川区、江戸川区辺りも含めて下町と呼び習わしてきました。』(p12)


 本来の下町とは、せいぜい墨田区ぐらいまでなのだが、住民が『呼び習わして』きたのだという。その住民の息子である秋本治の目の前に広がっていた風景とはザリガニと鉄塔なのだという。辺りで唯一のアスファルト舗装だった家の真ん前の旧道が近所の子供にとって格好の落書き場だった、小学校へ続く道が畑や水田だらけだった、そこでマッカチンを採ったこと、そんな"郊外の(!)子供"として思い出を語った後、秋本はこう続ける。

『ザリガニに象徴される自然が東京から消えた後で、鉄塔と工場に象徴される高度成長時代がやってきました。これは図式的な解釈かもしれませんが、だからこそザリガニと鉄塔が印象に残ったということはあると思いますし、その二つに象徴されるような時代の変化は、同時期に日本の各地で起こっていたと思うんです。そう考えればザリガニと鉄塔は、僕と同じ昭和30年代に育った子供たちに共通する記憶といってもいいかもしれません。』(p22)


 ここで秋本は、ザリガニを善き自然な記憶、鉄塔を悪しき人工の記憶としては描いていない。どちらも同じノスタルジー、懐かしい風景として描いているのだ。なぜなら、鉄塔が象徴するものこそ、『町全体が生活の場であるような感覚』(p30)の拠り所であったからだ。

亀有という下町

 秋本は亀有の風景について『東京都内の街にはよくある風景』だけれど、『川に囲まれた環境』であること、そしてどの川も人為的につくられたり、意図的に改修が加えられてきた川であることが、亀有の亀有たる所以なのだという。

『亀有では川べりの広い土地に作られた大工場が、戦後の高度成長時代のシンボルとなりました。工業の発展に伴って街に人が集まり、映画館やら娯楽施設もどんどんできて、新たな家電製品が生活様式を変えていく。もちろんこれは亀有だけでなく、高度成長期の都市周辺の街でなら、どこででも起きた変化のはずです。』(p50)


 ここでも秋本は、亀有を高度成長期の都市周辺の街、つまり”郊外”と重ねて見ている。大工場があって、たくさんの町工場があって、びっくりするくらいたくさんの工員が社宅に住んで、シフト空けの平日には町に出てくる。だから、映画館や娯楽施設が流行り、レコード屋には新人の演歌歌手が営業で立ち寄り、社内結婚で子供を設けて、近場の借家に引っ越しした後も、商店街の肉屋で総菜を買い、本屋で小学館の図鑑を買う。地元の子供も、『大工場の社員用のプールで遊ばせてもらい』『大きなお風呂にいれてもらった』(p50)りする。よく言われる"下町=人情"的な部分だが、これも、一日中、町中に人がいるという生活環境が生んだ生活の知恵なのではなかしらん。とにかく、『そういう生産の現場と生活の場とが密着』(p51)していることが、秋本のいう『懐かしさにあふれた場所』(p50)であることの理由なのだ。

 これは余談だけど、秋本の生家の隣は亀有名画座という映画館だったのだが、その映画館の所有者は、なんと鈴本演芸場だったらしいのだ。そういえばと思い出したのは、駅前にあった亀有楽天地という歓楽街。その歓楽街は戦後すぐに玉の井の業者12名が、銘酒屋開業の許可を得て開業したことに始まるのだっだ。そして当初の建物は日立亀有工場の「日立青年学校」を転用したものだった。なるほど大工場の町なのだと思う。

 ちなみに、秋本治は1952(S27)年生まれ、なぎら健壱も同じ1952(S27)年生まれ、隣接する足立区生まれの北野武は1947(S22)、この世代の描く地元は、みんな『町全体が生活の場であるような感覚』の町なのだな。

両さんに仮託した秋本治の亀有発見の旅

 まず、目次の構成に注目。生まれ育った亀有を起点に、千住・浅草、隅田川・佃島、上野、神田と続く。つまり、本来の下町ではないと自らいう亀有から、本来の下町へ進むという構成になっているのだ。

 そして、左ページに排された。概ね目次に沿うように並んでいるのだけど、終盤、神田の章で、再び地元の風景に立ち返る。神田明神の祭りの次にくるのは、押上の町、そして、葛飾区堀切、葛飾区西亀有、足立区綾瀬を並べて、帝釈天で大団円となる。山田洋次との対談へ引き継ぐ意味もあって、最後が柴又帝釈天なのは当然として、そこに至る扉絵の構成が面白い。

 そして、二枚の葛飾、一枚の足立に描かれた風景は、古隅田川が水路になり、さらにその水路が親水公園風に変化した風景であり、農村の名残りの社の風景なのである。やはり、ここで秋本は生粋の下町から葛飾亀有を発見しているのである。

 個人的に一番気に入ったのは、葛飾区青戸(p155)の扉絵。これはちょっと凄い。京成電車に横切るように用水路が流れてる。用水路はすでに溝のようになっている。用水路の両側は民家が際まで迫ってきている。右側は錆びたトタンで覆われ、足下はコンクリートブロックで補強してある。左側もトタンの家。トタンにはツタが絡まり、用水路の上にかけられたドブ板の上にはありとあらゆる生活道具が溢れている。植木鉢も並べられてる。そのドブ板の上で両さんはしゃがみこみ、用水路の水面を嬉しそうに眺めているのである。

下町を残すために

 なんだかこういう風に書いてると、ノスタルジー満載、三丁目の夕日みたいな本に思えるかもしれないけど、それだけではない。文体も秋本治ってこんなにウェットな文体なの、イメージ違うわという印象を持つ人もいると思うけど、これは秋本氏が語ったものをライターがまとめたものということ。

 最終章に『下町を残すために』という節があるけど、秋本は、何が何でも現状のままでいろとは言わない。

『両さんの父親ならよろず屋建て替えの話が出たとすると、「オレはここから動かねえ!」と頑固に言うかもしれません。でも夏春都なら店をマンションのビルにする話が出ても、「それも悪くないわね」と言うでしょう。』(p222)


 そして、秋本はこの夏春都のキャラクターこそ『未来に向かって懐かしいものを引き継いで行く方法』なのではないかと書いている。ここでも秋本は、流れの中に身を置きつつも、ザリガニと鉄塔のバランスに立ち返っている。

 本当にそれが下町を残すことにつながるのかはわからない。『生産の現場と生活の場とが密着』は依然として課題であるように思える。



両さんと歩く下町 ―「こち亀」の扉絵で綴る東京情景 (集英社新書)
秋本 治
集英社新書
2004

【目次】
はじめに
第1歩 亀有回想
こちら葛飾区亀有/中川とザリガニと鉄塔と/亀有に大工場があった日/東の香取神社、西の曳舟通り/風呂といえば銭湯だった/ゆうろーど散策/亀有という下町
第2歩 千住、浅草、行き帰り
煙突が消え、球場が消えた/千住に本田、三ノ輪に都電/浅草羨望/あs草中心街を歩く/浅草寺物語/祭りがいちばん似合う街
第3歩 隅田川界隈
橋づくし1/橋づくし2/橋づくし3/佃島定点観測
第4歩 上野七変化
上野駅今昔/じゅらくとプリン・アラモード/アメ横あれもこれも/不忍池幻影/亀有少年の上野公園/博物館動物縁駅よ残れ/「下町散歩シリーズ」のころ/谷中・根津・千駄木
第5歩 超神田寿司の神田へ
擬宝珠纏・誕生/聖橋と纏と/湯島聖堂と神田明神/神田祭りをめぐって/下町を残すために
山田洋次×秋本治特別対談 葛飾に愛をこめて
あとがき
参考文献
下町地図
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